『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』

    『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』

    eastern youthの『旅路ニ季節ガ燃エ落
    チル』は、
    1990年代を代表する“日本のロックバ
    ンド”の名盤

    『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』(’98)/eastern youth

    『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』(’98)/eastern youth

    2017年9月27日、eastern youthが新作『SONGentoJIYU』を発売した。2015年、前作『ボトムオブザワールド』のレコ発ツアー後、前ベーシスト・二宮友和が脱退。その後、村岡ゆか(Ba)が新加入し、新しいメンバー編成となって初となるアルバムで、その点でも注目の新作と言える。本コラムではeastern youthの代表作のひとつである『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』を題材に、ロックと日本語について考察してみた。

    ロックミュージックと日本語

    先日、20年以上前にメジャー契約を終え、現在は活動休止中の某バンドの元マネージャー氏と再会した。当然、話題は某バンドのことに終始。「デビューするのが10年早かったね」とか「今再発したら案外ウケるんじゃないかな」とか、詮無き話になったのだが、それと言うのもそのバンドはデビュー時、歌詞が全て英語だったのである。2nd以降は日本語詞になったが、それはレーベルからの強い要請からだったという。曰く「日本語じゃないと多くの人に聴いてもらえない。やっぱり英語じゃ売れないよ」と。ところが、皮肉なもので「日本語にした結果、それまでのファンも離れてしまって、ライヴの動員もCDの売上もかなり落ちたんですよね」とマネージャー氏。まぁ、実際のところ、日本語詞になったことが直接セールスの悪化に影響したかどうかわからないが、当時、筆者が音源を聴いた限りでは、そのバンドの雰囲気が大分損なわれた印象はあった。今、英語詞で活躍する日本のバンドが珍しくない中では隔世の感のある話だが、レーベル側からすると(少なくともメジャーでは)当時はそれが普通の感覚であったのだ。その某バンドのメンバーは洋楽を中心に聴いてきて、サウンドも当時のUKシーンで盛り上がっていたものを取り入れていた。そのサウンドはそこそこ評価されていたと思うし、それゆえにか、メンバーは当たり前のように英語詞で歌っていたと思う。だが、それが素直に認められる時代ではなかったという話である。
    ロックと日本語の問題はそれこそ1970年代からあった。筆者はその渦中を知らないので“あったらしい”と言うべきだろうが、“日本語ロック論争”なるものがそれだ。ちょっと調べたらそこに関わっているアーティスト、バンドがなかなかに多い上、ここで実名を出すと面倒なことにもなりかねないので、気になったらググったりしていただければ…と思うが、簡単に言うと“ロックは、日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか”という議論だったという。どうやらもともとはメディアが煽った話でもあり、結果的には日本語で歌ったバンドも英語で歌ったバンドもそれぞれ存続したし、日本語詞も英語詞も混在しているバンドも珍しくない今となっては、若干間の抜けた話のようにも感じるが、まだまだ黎明期のシーンにおいてはシリアスな話ではあったのだろう。また、この間には荒井由実(現:松任谷由実)やオフコースといったきれいに日本語をメロディーに乗せるアーティストが出現する一方で、その後にはサザンオールスターズの桑田佳祐が文章の正確さ云々よりも語呂の良さや符割などを優先させ、日本語を英語っぽく発音したり、佐野元春がスポークン・ワードを実践したりと、依然ロックに日本語をどう取り込むかを腐心するアーティストも登場してきた。ポップス寄りのものはともかく、ロック特有のコード進行から生まれるメロディーや速いビートにそのまま日本語を乗せることに対して、まだまだ当時の創作者たちは違和感を覚えていた証左でもあろうと思う。

    日本語のパンクの最重要バンド

    さて、そこから40余年。何度かのバンドブームを経て、冒頭の某バンドのような「日本語じゃないと売れないよ」といった時期があり、そこを超えて英語詞当たり前のバンドが登場し、さらには英語詞と日本語詞を楽曲毎に起用に使い分けるバンドも出て来て現在に至っている。今や英語詞の日本のバンドが欧米でライヴすることも珍しくない。その昔に比べたら随分と多様性が増した。もちろん日本語詞勢(?)も深化してきた。所謂、1990年代後半の青春パンクがそうだし、最近ではWANIMAがその代表だろうか。まぁ、日本のパンクはINU、THE STALIN、アナーキーと最初期から日本語詞のバンドがほとんどで、その内容も型破りなものや反抗を歌ったものが多く、当時は少なくともポジティブな方向性など皆無だったが、現在に至るまでさまざまなスタイルを持ったバンドが生まれてきた。重要バンドはいくつかあるが、こと日本語詞ということで言うなら、eastern youthが最重要バンドであることは議論を待たないと思う。1990年代以降のパンクバンド、ギターロックバンドは大なり小なりeastern youthの影響を受けていると言っても過言ではなかろう。ここではそのバンド名、アーティスト名を挙げないが、気になった人は、彼らが主催してきた自主ライヴ企画『極東最前線』で対バンした面子、または3作品発表されているオムニバス盤『極東最前線』シリーズに参加している面子を調べてほしい。その凄さが分かると思う。
    eastern youthの歌詞は《漢語や近代詩風の表現を用いた》点が特徴と言えるが、それが本当に巧くメロディーに乗っている(《》はWikipediaから抜粋)。以下、多くの人がここからeastern youthのを知ることになったであろうメジャー第一弾アルバム『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』からそれを見ていきたい。
    《蝉時雨と午後の光/まだ生きて果てぬこの身なら/罪も悪も我と共に在りて》《俄雨と濡れた舗道/傘持たず走る街の角/追い付けない/追えば逃げる影に》(M1「夏の日の午後」)。
    《あの人が/あの雲の彼方で/呼んでいる様な/そんな気がして/足を止めるよ》《あの人が/あのビルの彼方で/待っている様な/そんな気がして/足を止めるよ》《絶え間無く震える現身は/幻の誰ぞや夢む》《『かかる暮らしの味気無さ』》(M4「青すぎる空」)。
    《一人と、一人と、又一人 見渡す限りの淡い影》(M5「淡い影」)。
    《ソノ手ニ、/ソノ手ニ、/何ガアル?/ソノ手ニ、/ソノ手ニ、/何カアル。/明日が呼んでいる/幾度も、幾度も、幾度も、/繰り返し繰り返す/明日が呼んでいる》(M6「徒手空拳」)。
    《遠く遠くと来る程に/『カエロウ、カエロウ』と声がする。》《旅路ニ季節ハ燃エ落チテ/虚ロナ心ニハ雪ト風ダケ》(M9「寄る辺無い旅」)。
    まさに近代詩的というか、リフレインもあり、単に朗読するだけでも、平坦だが日本語特有のリズム感のある文章である。eastern youth未聴の人は「これはこれでメロディーに乗るでしょ?」と思われると思うが、そうした想像の何倍も上を行く乗り方をしている。しっかりと抑揚があるし、言葉をごまかして歌うようなところは皆無と言ってよく、母音の伸ばし方も絶妙だ。何よりもメロディーが分かりやすい。妙に複雑にしている様子もなく、簡単に言えば超キャッチーである。eastern youthの少し前にエレファントカシマシもこのタイプの日本語をロックミュージックへ乗せることに挑戦していたが、それとも微妙に違う、不思議なポップさを持ったメロディーライン。最初に聴いた時は相当新鮮だった覚えがある。吉野寿(Gu&Vo)の歌唱はその熱さから若干聴き手を選ぶところがあるかもしれないが、その歌メロはとてもポピュラリティーの高いものであることを強調しておきたい。基本的にはポップなアーティストであると思う。

    歌詞の余韻とサウンドの妙味

    それでいて、歌詞にしっかりと意味があるというか、しっかりとしたメッセージ性を含んでいるところがいい。とは言っても、何かを扇動するようなものではなく、どこか刹那的で、それ故に独特の余韻を残すものが多い印象だ。
    《「答エガ無クテモ 移ロウ儘ダロウ」Yeah》(M5「淡い影」)。
    《足跡なんかは残らない/誰もが昨日に帰れない》《行き先なんかは解らない/今更後へは退けないさ》《昨日と明日が擦れ違う/足音ばかりが消えて行く》(M8「足音」)。
    《『明日また、陽が昇るなら、/笑えるさ。/笑ってみせるさ。』/何を儚む事があろう/何を失うものがあろう/歌は夜空に消えてゆく》(M10「歌は夜空に消えてゆく」)。
    アジテーションでも反抗の歌でもなく、感情に焦点を絞るでもなく、また過去や未来に思いを馳せるでもない。日本らしい観念だが、日本のロックバンドがあまりやってこなかったスタイルではあろう。この点を指してeastern youthは文学的なバンドとも言われるが、言い得て妙ではある。
    最後に『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』のサウンドについておこう。eastern youth特有の歌詞とメロディー。それを強力に後押しし、エモーショナルな楽曲に仕上げているのはそのバンドサウンドであることは言うまでもない。パンクらしい前のめりのビートと、ノイジーなギターサウンドが基本のスタイルだが、その当時のオルタナティブロックやグランジロックの匂いもある。M2「男子畢生危機一髪」やM3「泥濘に住む男」がそれで、こうした音色の違いもeastern youthを単なるパンクバンドにしていないところだと思う。小技もある。M1「夏の日の午後」の冒頭で聴くことができる、若干Billy Joel「The Stranger」を彷彿とさせる口笛や、M3「泥濘に住む男」でのオカリナ(間違っていたら御免)は、いずれも体温を感じさせるものだし、M8「足音」で聴かせる多彩なギターサウンドもまたシンプルな3ピースバンドにはない表現力を感じさせる。もちろん、吉野のシャウトを含めたテンションの高さ、音圧の強さがeastern youthの魅力だが、こうしたところも取りこぼし無く味わってもらいたい。

    TEXT:帆苅智之

    アルバム『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』1998年作品
      • <収録曲>
      • 1.夏の日の午後
      • 2.男子畢生危機一髪
      • 3.泥濘に住む男
      • 4.青すぎる空
      • 5.淡い影
      • 6.徒手空拳
      • 7.何処吹く風
      • 8.足音
      • 9.寄る辺無い旅
      • 10.歌は夜空に消えてゆく
    『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』(’98)/eastern youth

    OKMusic編集部

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