爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.69「納涼歌謡
祭」

いい音爆音アワー vol.69「納涼歌謡祭」

2016年8月17日(水)@風知空知

「歌謡曲」の森は広くて深い。そしてもちろんガラパゴス。日本だけのこの音楽世界は、ジャズ、ラテン、クラシックなど既成の音楽ジャンルはもちろん、映画、TV、お笑いなど、あらゆるエンタテインメントを貪欲に飲み込みつつ、「面白ければ何でもあり!」のポリシーで増殖してきました。ただ昨今は他のジャンルと同様、すっかり元気がありません。「売れなければダメ」という息苦しさの中では歌謡曲も窒息してしまうのでしょう。

今回は共同企画。11曲目までは”選曲も水泳もできるサラリーマン=美甘純”、それ以降が福岡の選曲です。美甘氏が持ってきたのは、ほとんどがSHAZAMにも引っかからない、YouTubeにも載っていない激レアな音源ばかり。ここに掲載しても、実際探せないものも多いでしょうが、悪しからず。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト

▶コマーシャル歌謡

企業や商品の宣伝のために作られたコマーシャルソング。通称コマソン。ヒット曲に負けないくらい素晴らしい作品があるのに、「販促用」として、一般に販売されることなくひっそりと配布されただけで、忘れ去られてしまったものもたくさんあります。さらにコマソンなので、あまりフル尺で聴ける機会もありませんでした。忘れ去られるにはあまりにも惜しい、そして今聴いても新鮮な輝きを放っている、極上の昭和のCM歌謡曲です。
ハイ・ファイ・セット「武蔵野の道・森の道」
吉祥寺「ロンロン」の販促用ソノシート!アコギの音色と抜群のコーラスが絶妙に絡み合う上質なソフトロック歌謡。


2枚組ソノシート [ER-1316] 販売促進用のみ(1969年?リリース)

作詞:伊藤アキラ/作曲:小泉まさみ/編曲:栗田俊夫
「住みたい街ランキング」で常に上位の吉祥寺(2015年に首位陥落→恵比寿)。現・アトレ吉祥寺(2010年〜)の前身である吉祥寺ロンロン(1969年12月3日開店。株式会社吉祥寺ロンロンが運営。中央線三鷹駅と西八王子駅、横浜線中山駅にも出店)のCMソング2曲を収録。ハイ・ファイ・セットが歌う「武蔵野の道・森の道」は、アコギの音色と抜群のコーラスが絶妙に絡み合う上質なソフトロック歌謡。もう1曲は田中星児が歌う「今日もロンロン」(作詞:伊藤アキラ/作曲:小泉まさみ/編曲:戸川秋彦)。こちらは軽やかカントリー・フレイヴァー。
山内賢・鍵山珠理「ヤングエコー」
トランシーバーってこんなに宣伝してたんだー(驚)。赤盤シングルを持ってきてくれました。


販促用シングル [東芝4RS-150] (1968年リリース) ★赤盤

作詞・作曲:鈴木邦彦


ヤングの必需品、今スマホ、昔トランシーバー。1968年発売の東芝トランシーバー「ヤングエコー 51A」のイメージソングとして制作された楽曲で非売品の販促用シングル。俳優の山内賢、鍵山珠理(”ジュリーとバロン”)という2人の青春スターが歌うはつらつポップス。ヤング・エコー推しだからサビでもエコー入り。B面には1968年1月リリースの黛ジュン「乙女の祈り」を収録。
ジュリーとバロン:

1967年に尾藤イサオのバックバンドとして結成されたザ・バロン(The Baron 1967〜1971年。単独でリリースした唯一のレコード「恋の億万長者」はステージ101の1st LPに収録)。ガール・シンガーの鍵山珠里と組んだ”ジュリーとバロン”名義でのシングル「ブルー・ロンサム・ドリーム」(1969年)でレコード・デビュー。作詞は阿木燿子、作曲は当時バンドのサブマネージャーを務めていた宇崎竜童。これが2人のコンビでの初作品!
★赤盤:

今回再生したのは「赤盤」のシングル。赤盤とは1958年頃、静電気を防ぐために原材料の塩化ビニールに帯電防止剤を混入して、エバークリーン・レコード(永久に埃が付着しないレコード)の名で発売した赤い透明のアナログ盤。帯電防止剤の影響で赤いのではなく通常の黒盤との識別の為、わざわざ着色している。確かに静電気の発生は少ないが音が丸まってしまいがちであまり評判は良くなかった、とは評論家の意見。しかしながらビートルズの日本の初期盤、東芝の赤盤はたいへんいい音がして、今や高価な貴重盤になっている。これは赤盤がいいというよりも、初期プレスでいい音がするということらしい。
タイム・ファイヴ&シンガーズ・スリー
「愛をうたおう、セイコーで!」
この時代はコマソンは販売するものじゃない、というのが常識なんですね。それを覆していくのが大瀧詠一さんの「サイダー」。


販促用EP [AMS-156] (1969年?リリース)

作曲:市川秀男


時計メーカーSEIKOの源流企業、服部時計店が制作した販促用非売品7インチレコード。デューク・エイセス&シンガーズ・スリーによるA1「ラ!ラ!セイコー」とシモンズが歌うB1「セイコージョイフルの歌」は小林亜星作曲。何と言ってもジャズ・ピアニスト市川秀男作曲によるB2「愛をうたおう、セイコーで!」。タイム・ファイヴとシンガーズ・スリーの共演によるコーラスワーク、流麗なピアノとアップリフティングなホーンセクションが織りなすジャパニーズ・ソフトロック屈指の大名曲。
アンディ・ウィリアムス「すてきなそらを」
これも当時は非売品だけれど、2007年になってCD化されたそうです。


EP『マイファミリー「味の素」』 [AJ-5(ME-1252)] (1969年リリース)収録

作詞・作曲:小林亜星


米ポピュラー界の巨匠・アンディ・ウィリアムス。米テレビ番組「アンディ・ウィリアムス・ショー」(1962-1971)がNHKで放送されたこともあり、日本人にとってもなじみ深く、1991年には紅白歌合戦に出演(ザ・ベンチャーズも)。本レコードは1969年にアメリカ・ロサンジェルスでレコーディングされた、味の素の販促用7インチシングル。A面3曲「いつでもどこでも」「LET'S DANCE」「すてきなそらを」は小林亜星・作詞作曲。和モノソフトロックの名曲(B面は「THE HAWAIIAN WEDDING SONG」)。

同TV-CMにはアンディ・ウィリアムス自身が出演し話題を呼んだ。音源は当時は商品化されず、ピクチャーEPとしてノベルティで配布されたのみ。プレミア価値が高まる中、音源制作会社に眠っていた音源を発掘し2007年に国内限定発売でCD化。CDには「いつでもどこでも(TVCM30秒ヴァージョン)」が収録されている。
クラウディア&浜口庫之助「私のカローラ」
(「恋のカローラ」デュエットver.)
まずここで登場、浜口庫之助さん。今日はハマクラ・デーでもあります。


アルバム『カローラ誕生10周年記念 カローラ・ビッグ・ヒット・パレード』 [LRs-475](1968年リリース)収録

作詞・作曲:浜口庫之助


ジャズ・ミュージシャン渡辺貞夫氏がブラジル・ツアー中に見たクラウディアを気に入り日本へ連れて来る。「恋のカローラ」は1968年トヨタのカローラのCMソング。作詞作曲:浜口庫之助。ハマクラさんの真骨頂とも言うべき、哀愁漂う和ボッサの名曲。クラウディアは68年にシングル、69年にはアルバム(ボサノヴァのスタンダード曲を多く収録)をリリース。そちらはクラウディアひとりで歌っているが、プロモ用のソノシートにはハマクラさんとのデュエットver.が収録(2曲入りで、あと1曲はポルトガル語オンリーver.)。そのデュエットver.はカローラのコンピ・アルバムに収録されており、クラウディアのポルトガル語と片言の日本語が絶妙でラブリー。
▶カタコト日本語歌謡

前出のアンディ・ウィリアムス、クラウディアの流れから、“外国人がつたなくも愛らしい日本語で歌っている歌謡曲”を少し。コニーフランシス、フランスギャルなど、洋楽を日本語でカヴァーした例はいろいろありますが、ここでは日本人作家による“邦楽・歌謡曲”をご紹介。有名なものではシルヴィ・バルタン「恋人時代」(村井邦彦)もありますね。
アストラッド・ジルベルト
「ストリート・サンバ」
渡辺貞夫さん作曲のキュートなボサノヴァ歌謡。


シングル [GRAMMOPHON/Verve DV-1031](1969年発売)

アルバム『ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム』(1969年発売)収録

作詞:中村小太郎/作曲:渡辺貞夫/編曲:山木幸三郎


日本文化に興味をもっていた彼女のたっての希望で実現した、全曲日本語歌唱のボッサ・アルバム『ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム』(デビュー40周年記念盤として2003年に世界初CD化。オリジナルは1969年発売)。「イパネマの娘」をはじめ有名曲を日本語で歌っている。アルバムA-1に収録されているキュートなボサノヴァ歌謡「ストリート・サンバ」はカヴァー曲。元々はブラジル在住の日系女性シンガーだった泉田(いずみた)エミイのデビュー曲として、1968年に渡辺貞夫&中村小太郎が書き下ろしたもの。

アップテンポで歌うアストラッド・ジルペルトは1番を舌っ足らずな日本語で、2番からは舌ったらずな(?笑)母国ポルトガル語で歌っている。一方、B面の「生命のかぎり」は作詞:西川ひとみ/作曲:山木幸三郎。こちらは極めて歌謡曲。ちなみに昭和40年代頃までは、外国人アーティストが日本語の歌を日本限定で制作発売するという企画が多数あったらしい。
ジューン・フランシス
「エトランゼ・ロマネスク」
作曲家の津野陽二さんがハワイで声を掛けたら、一年後に突然来日したらしい。


シングル [日本コロムビア SAS-160](1972年発売)

作詞:多木比佐夫(たぎひさお)/作曲:津野陽二


企画アルバム『昭和カタコト歌謡曲 女声編』に収録。京都〜神戸の情景を歌うジューン・フランシス。上質なイージー・リスニング風のイントロが終わると突然、和なグルーヴに変化する驚きの一曲。作詞:多木比佐夫(たぎひさお)/作曲:津野陽二。初期奥村チヨを手掛けた名コンビによる作品。ちなみに津野陽二の孫の津野米咲(つの まいさ)はバンド「赤い公園」のギター&コーラスでキーマン。
ブーン・シスターズ「恋のシャボン玉」
パット・ブーンの娘、つまりデビー・ブーンの子供の頃、姉妹で歌った日本向けソフトロック歌謡。


シングル [東芝 LR-2780](発売年不明)

作詞:西川瞳/作曲:ふじきよと/編曲:川口真


外国人の子供が歌うカタコト歌謡は数多くあり、私はそれらを「キッズ物」としてくくっているが、本盤は特別。日本語のカタコトっぷりもサウンドも素晴らしい最高級のソフトロック歌謡。

アメリカ合衆国出身のポピュラー歌手パット・ブーン(※)。その娘たち、デビー・ブーン(※※)を含むブーン・シスターズが歌う日本語ポップ盤。A面「恋のシャボン玉」、B面「私はスター」(作詞・作曲:ふじきよと/編曲:川口真)、ともにグレイト。アルバムは、東芝リバティ・レーベルのショウケース・オムニバスLP 「V.A. / ニュー・フォーク&ポップス・ハイライト」に収録。OSMONDSが初来日した1969年春に、パット・ブーン&ブーン・シスターズとして渋谷公会堂で共演している。
※パット・ブーン(Pat Boone

1934年6月1日生まれ。

1950年代から、清潔な優等生的イメージと折り目正しい唱法で絶大な人気を誇った。「砂に書いたラブレター」や「四月の恋」など多数のヒット曲がある。映画「十字架と飛び出しナイフ」で、クリスチャン俳優としても知られるようになった。
※※デビー・ブーン(Debby Boone):

1956年9月22日生まれ。

1977年にリリースした「You Light Up My Life」が10週連続で全米 No.1 となり洋楽史上に残る大ヒットとなった。その邦題が「恋するデビー」というマヌケなもので多くの人の顰蹙を買った上、その後ヒットに恵まれず、半ば忘れ去られてしまったが、70年代後半の日本ではオリビア・ニュートン・ジョン以上と言っても過言ではないほど(?)の人気があった。
マーク・レスター「マークのさよなら東京」
あの「小さな恋のメロディ」で当たった後にこんなレコードを出していたなんて。唄も日本語もド下手なのになぜか好感が持てる。


シングル「マークのシャ・ナ・ナ」 [HIT-1960](1971年発売)のB面

作詞:つさか・こうじ/作曲:鈴木正勝/編曲:馬飼野俊一


マーク・レスター(Mark Lester):

1958年7月11日生まれ。

1971年公開の映画「小さな恋のメロディ」に出演し、大ブレイクしたイギリスの元子役。1973年には日本映画「卒業旅行」に主演。

20歳で俳優を辞めた後は父が経営するレストランで働き、保育園に勤務した後、整骨師の資格を取得しチェルトナム(イギリス)に整骨院を開く。

1982年にマイケル・ジャクソンと出会い、家族ぐるみで付き合う仲に。マイケルは死の直前、長男プリンスと長女パリスの実の父親が自分でないと告白(マイケルと親交のあったジェイソン・ファイファー談)。 ファイファー氏によると、プリンスとパリスはマーク・レスターとマイケルの元妻であるデビー・ロウの子供であり、代理出産で生まれた一番下のブランケットだけが血の繋がった子供であるとマイケルが語ったという。

1993年に結婚、4人の子をもうけ2005年に離婚。その後看護師と結婚。
▶カタコト日本語歌謡曲風洋楽

カタコト日本語歌謡から脱線して、最後に飛び道具的な「カタコト日本語歌謡曲風洋楽」をご紹介。日本人のアイデンティティを揺さぶるパンチの利いたカタコト日本語をお楽しみください。
THE J'S WITH JAMIE「YOSHIKO」
歌い方の前に歌詞自体がカタコト&意味不明だが、「ヨッチャン・ベイビー」という合いの手は強烈。やられた。


シングル [Columbia ‎ 4-43017](1964年発売)

米コロンビアに残された世にもストレンジなシングル盤。謎のカタコト日本語に図太いビートとオリエンタルなサウンド、という不可解なカッコ良さに魅了され、DJやガレージロック・ファンを中心に中毒者が続出(2014年?にリイシューも)。THE J'S WITH JAMIEはアメリカのコーラス・グループ。1964年にはグラミーの新人賞候補にも選ばれ、コマーシャルのジングルなどでもお馴染みだったらしい。アルバムは3枚ほどあり、そのうちの1枚「THE TWO SIDES OF THE J'S WITH JAMIE」はチャーター専用の航空会社VALIANT AIRLINESが製作したプロモーション用レコード。A面は同盤でしか聴けないCM用音源とナレーションで構成されている。
YAMASUKI'S「Yamasuki」
踊りもあります(YouTubeで検索されたし)。笑うというより、もはや不気味です。


シングル [6109 003](1971年発売)

アルバム『YAMASUKI(素晴らしきYAMASUKIの世界)』(1971年発売)収録


山下達郎のラジオ『サンデー・ソングブック』の珍盤奇盤特集でも紹介された超人気盤。YAMASUKI はサウンド・プロデューサーのDANIEL VANGARDE(ダニエル・ヴァンギャルド)とソングライターのJEAN KLUGER(ジャン・クルジェール)がパリで結成した変態ユニット。ダニエルはDAFT PUNKのTHOMAS BANGALTER(トーマ・バンガルテル)の実父でもあり、トーマ自身が多大なインスピレーションを受けたというアーティストの一人。 初期のダフト・パンクの作品にはダニエルの名前もクレジットされている。

本盤は1971年に「Yamasuki Singers」という名義で発表された、日本をテーマにしたアルバム『YAMASUKI』(邦題は『素晴らしきYAMASUKIの世界』)からのシングル。カタコトというより絶叫デタラメ日本語。摩訶不思議なエキセントリック・アバンギャルド・ファンク。
※B面の「AIEAOA」は1971年に最初に録音されたときには「アイエアオア (Aieaoa)」と題されたが、1975年にアフリカのブラック・ブラッド (Black Blood) というグループにより、大部分がスワヒリ語の歌詞によるバージョンがベルギーで録音され、「A.I.E. (A Mwana)」としてリリースされた。1981年、「Aie a Mwana」はイギリスのガール・グループであるバナナラマの最初のシングルとなった。2010年にはこの曲の旋律にまったく新たな歌詞を載せた曲である「Helele(ヘレレ)」が、Velile & Safri Duo(ヴェリレ&サフリ・デュオ)によってリリースされ、2010 FIFAワールドカップの公式ソングのひとつとなった。
▶歌謡的洋楽

ここからは福岡選曲です。いやー、すごかった(笑)、美甘選曲。

さて、歌謡曲は貪欲な音楽ですから、洋楽でも何でも利用できるものは常に虎視眈々と狙っていますが、洋楽からは、まず歌謡曲なんて意識してない。でも、他人の空似じゃないですが、タマに歌謡曲っぽいなーって思うこともありますよね。
The Shadows「1861」
ベンチャーズの歌謡曲にはさすがに負けますが、このバンドもかなり歌謡センスあります。加山雄三がこれを歌ってもおかしくない。


2nd アルバム『Out of the Shadows』(1962年10月発売)収録

作曲:Brian Bennett, Bruce Welch, Hank Marvin

アルバムは全英1位


ザ・シャドウズ:

1958年、クリフ・リチャードのバックバンド、”The Drifters”として結成された。

ハンク・マーヴィンHank Marvin (lead guit./vo)とブルース・ウェルチBruce Welch (rhythm guit./vo)が中心メンバー。

1959年7月、アメリカの黒人コーラス・グループ”The Drifters”との重複を避けるため、グループ名を”The Shadows”と改名。

1960年7月、インストのシングル「Apache」が全英5週連続1位の大ヒット。

1969年末、解散。

1973年、再結成。1990年、再び解散。2004年、再々結成、現在に至る。
1960年代前半は、シャドウズのようなインスト・エレキ・バンドが大人気。

アストロノーツThe Astronauts (US)

ベンチャーズThe Ventures (US)

スプートニクスThe Spotnicks (スウェーデン)

ザ・ジョーカーズThe Jokers (ベルギー)

レ・シャンピオンズLes Champions (フランス)

ザ・サウンズThe Sounds (フィンランド)
Nightnoise「A Different Shore」
アイリッシュ・ミュージックは日本と同様、根っこは5音階。だからこんな森繁久彌さんに似合いそうな曲が…。


6th アルバム『A DIFFERENT SHORE(記憶の岸辺)』(1995年発売)収録

作曲:Johnny Cunningham/プロデュース:Nightnoise


ナイトノイズ:

アイルランド人ギタリスト、ミホール・オ・ドーネルMícheál Ó Domhnaillが、米国オレゴン州ポートランドで、アメリカ人ヴァイオリニスト、ビリー・オスケイBilly Oskayとともに結成。

1984年、Windham Hillレコーズより、アルバム『Nightnoise』でデビュー。

フルート奏者、ブライアン・ダニングBrian Dunningと、ミホールの妹でピアニストのトゥリーナ・ニ・ゴーネルTríona Ní Dhomhnaill(ともにアイリッシュ)が加入。

1990年、オスケイが脱退、後任にスコティッシュのフィドル奏者、ジョニー・カニンガムJohnny Cunninghamが加入。

2003年、解散。12月15日、カニンガム、心臓発作で死去。享年46歳。

2006年7月、ミホール、自宅にて墜死。享年54歳。
Elle King「Ex's & Oh's」
小林旭「ダイナマイトが百五十屯」(1958)と曲調がそっくり。さらにその先輩にTennessee Ernie Ford「16 Tons」(1966)てのがあるけどね。


実質1st シングル(2014年9月23日発売)

『LOVE STUFF』(2015年2月17日発売)収録

作詞・作曲:Elle King, Dave Bassett/プロデュース:Dave Bassett

全米10位、ロック・チャートとアダルト・チャートで1位 アルバムは全米26位

第58回グラミー賞で、「Best Rock Performance」と「Best Rock Song」にノミネート。


エル・キング(本名:Tanner Elle Schneider):

1989年7月3日、米国カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ

バンジョーが得意。

1999年、コメディアンである父Rob Schneiderとともに映画「Deuce Bigalow: Male Gigolo」に出演、女優デビューを果たす。

2012年3月、RCAより、配信&アナログ・シングル「Good To Be A Man」でデビュー。

2012年6月、4曲入り「The Elle King EP」リリース。収録曲の「Playing For Keeps」がVH1の「Mob Wives Chicago」という番組のテーマに使用される。

2015年2月、1st アルバム『LOVE STUFF』リリース。

2016年、シングル「Good Girls」が映画「ゴーストバスターズ」のエンディングテーマになる。
▶洋楽的歌謡

日本の音楽は洋楽をお手本にして育ってきました。ただそれが、ロックだと、洋楽のスピリットを学ぶんだけど、歌謡曲は面白ければ、受ければよし。ド歌謡曲なのに、サウンドは洋楽そのものなんていう「チャッカリ系」が、今となっては微笑ましいのです。
市丸「三味線ブギウギ」
大瀧詠一さん曰く「和製ロックンローラー第1号」。ちなみに世界初のロックンロールと言われるJackie BrenstonRocket 88」(1951年)よりも早い。


39th(?) SP盤シングル(1949年発売)

作詞:佐伯 孝夫/作曲:服部良一

「東京ブギウギ」(1948年)を聴いて、自ら服部良一氏に頼み込んだ。


市丸(本名:後藤まつゑ):

1906年7月16日 - 1997年2月17日 長野県松本市生まれ。江戸小歌中村派17世家元。内閣総理大臣・近衛文麿の愛人でもあった。
16歳で、浅間温泉の半玉(芸者見習)となる。

19歳で上京。

昭和初期は芸者歌手(鶯歌手)がブームで、市丸にも各レコード会社が殺到し、ビクターが契約、1931年(昭和6年)、「花嫁東京」で歌手デビュー。

同年、静岡鉄道のCMソングとして作られた「ちゃっきり節」が大ヒット。

昭和10年(1935年)ごろ、人気を二分した芸者歌手・小唄勝太郎とは、作詞家の長田幹彦に「情の勝太郎と智の市丸」と言わしめ、マスコミは「市勝時代」と呼んだ。

1949年、「三味線ブギウギ」発売、大ヒット。

1969年、文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。

1980年、第22回日本レコード大賞特別賞を受賞。

1981年、勲四等宝冠章を受章。

1997年2月17日、呼吸不全で死去。享年90歳。
春日八郎「山の吊橋」
紛れもない「和」の声を、ルンバのリズムに乗せて高らかに。


シングル(1959年9月発売)

作詞:横井弘/作曲:吉田矢健治/編曲:小町昭


春日八郎(本名:渡部 実)

1924年10月9日、福島県河沼郡会津坂下町塔寺生まれ。

終戦後、台湾より復員、ムーラン・ルージュ新宿座に入団。

1948年、キングレコードの第1回歌謡コンクールに合格し、準専属歌手となる。

赤貧生活の中、必至の懇願の末、作曲家・江口夜詩に「赤いランプの終列車」を作曲してもらう。

1952年、「赤いランプの終列車」リリース。50万枚の大ヒットとなる。

1954年、「お富さん」が100万枚を超える大ヒット。

1955年、「別れの一本杉」大ヒット。

※春日の後、三橋美智也三波春夫村田英雄島倉千代子らが輩出し、「演歌」というジャンルが確立する。それゆえ春日は「演歌のオリジネーター」とされる。

1991年10月22日、肝硬変と心肺不全により死去。享年67歳。
小林旭「ダンチョネ節」
ペレス・プラード楽団来日(1956年9月)以降、マンボが大流行。民謡調のこの曲も完全マンボ化。「ウー!」の掛け声まであるよ。


14th シングル(1960年3月1日発売)

作詞:西沢爽/補作曲:遠藤実/編曲:狛林正一

日活映画「海から来た流れ者」主題歌

企画アルバム『アキラ 1』(2002年2月21日発売)収録

企画・監修:大瀧詠一


小林旭(本名):

1938年11月3日、東京都世田谷区生まれ。

1956年、映画「飢える魂」でデビュー。

1958年、日本コロムビアより「女を忘れろ」で歌手デビュー。

1985年、大瀧詠一が作曲・プロデュース(作詞は阿久悠)した「熱き心に」がAGFのCMソングとなり、ヒット。
橋幸夫「恋と涙の太陽」
このリズムはハーブ・アルパートがマリアッチから改造した「アメリアッチ」。ジャケ裏にダンス・ステップの図解も。


81th シングル(1966年6月23日発売)

作詞:佐伯孝夫/作曲・編曲:吉田正

松竹映画「恋と涙の太陽」主題歌(7月30日公開)

企画アルバム『SWIM! SWIM! SWIM!』(1990年8月21日発売/監修:厚家羅漢(大瀧詠一))収録


橋幸夫(本名=橋幸男):

1943年5月3日、東京都荒川区生まれ。

1960年7月、ビクター・レコードより「潮来笠」(作詞:佐伯孝夫/作曲・編曲:吉田正)でデビュー。同曲で第2回日本レコード大賞新人賞を受賞。

1962年、吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が大ヒット、第4回日本レコード大賞を受賞。

1964年8月の「恋をするなら」を皮切りに、67年5月の「恋のメキシカン・ロック」まで「リズム歌謡」ヒットを連発する。しかもその間に、「月の舞妓はん」(1965)、「殺陣師一代」(1967)(いずれも作詞:佐伯孝夫/作曲・編曲:吉田正)みたいなド演歌も出し、「雨の中の二人」(1966)、「霧氷」(1966/第8回日本レコード大賞)(いずれも作詞:宮川哲夫/作曲:利根一郎/編曲:一ノ瀬義孝)のような王道歌謡曲も大ヒットさせている。
かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」
これは歌謡曲ではないですが、サウンドがそのまんま”Tower Of Power”(本物)なので特別参加。


シングル「我が良き友よ」のB面(1975年2月5日発売)

5th アルバム『あゝ我が良き友よ』(1975年4月5日発売)収録

作詞・作曲:かまやつひろし/編曲:Greg Adams(TOPのトランペッター)

シングルはオリコン1位

吉田拓郎作の我が良き友よを筆頭に、加藤和彦井上陽水、日高富明、遠藤賢司大滝詠一細野晴臣りりィなどが曲提供したアルバム


かまやつひろし(本名:釜萢 弘):

1939年1月12日、東京府生まれ

1960年2月、テイチクより”かまやつヒロシ”名義でシングル「殺し屋のテーマ」リリース。テイチクでは2年間に計19枚のシングルをリリース。

1963年、”ザ・スパイダーズ”に加入。

1970年2月、ソロ・アルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』リリース。

2002年、小西康陽プロデュースのアルバム『我が名はムッシュ』リリース。

2009年2月18日には、井上順今井美樹甲斐名都、堺正章、THE ALFEETAROかまやつトータス松本、秦基博、一青窈布袋寅泰、Micro、森山直太朗森山良子などのゲスト・ミュージシャンとのコラボレイトによるアニバーサリー・アルバム「1939〜MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」を発表。
▶可笑しなお歌詞な歌謡曲

面白ければよし、の歌謡曲には変わった歌詞もいっぱいあります。ヘンテコな歌詞から秀逸なコミックソングまで、迷曲を集めてみました。
水原弘「へんな女」
たぶん、左卜全とひまわりキティーズ「老人と子供のポルカ」(1970年2月)のヒットに影響されたと思いますが、ムード歌謡の水原弘の超異色作です。


53th(?) シングル(1970年9月5日発売)

作詞・作曲:浜口庫之助/編曲:小谷充

オリコン41位


水原弘:

1935年11月1日 - 1978年7月5日、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身。

ロカビリーで活躍した井上ひろし、かまやつひろしと「三人ひろし」、あるいは守屋浩を含め「四人ひろし」と呼ばれる。

東京都立赤坂高等学校2年の時に、文化放送主催の「素人ジャズ喉自慢」で優勝。

その後活動していたジャズ喫茶で渡邊美佐にスカウトされ、芸能界入り。

1957年、”ダニー飯田とパラダイス・キング”の初代ヴォーカルとなるが、翌年脱退。

1959年、「黒い花びら」(作詞:永六輔/作曲:中村八大)でレコード・デビュー。

 同年、第1回日本レコード大賞を受賞。

1960年代になると、夜の街での散財、ギャンブルで多額の借金を抱え、1965年には暴力団がらみの賭博行為で芸能界を追放される。

1967年2月、「君こそわが命」(作詞:川内康範・作曲:猪俣公章)をリリース、大ヒット。“奇跡のカムバック”と言われ、第9回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。

しかしアルコール依存は治らず、肝硬変を発症、1978年6月24日、北九州市のホテルで倒れ、7月5日未明、肝硬変の重症化による食道静脈瘤破裂により死去。享年42歳。当時の額で9000万円の借金が残っていたと言われる。
守屋浩「僕は泣いちっち」
「泣いちっち」が流行語になったなんて書いてあります。当時5歳の私はこの曲はよーく覚えていますが、流行語にはなってないと思います(笑)。


1st シングル(1959年9月発売)

作詞・作曲・編曲:浜口庫之助


守屋浩(本名:守屋 邦彦):

1938年9月20日、千葉県生まれ。

1957年、”スイングウェスト”のバンドボーイとなる。

1958年、第1回日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。

1959年9月、デビュー曲「僕は泣いちっち」リリース。大ヒット。

1960年、堀プロダクション設立にともなって同事務所に所属。

1976年3月からはホリプロダクションの社員に転じ、同社の宣伝部長やスカウト部長などを歴任。
鈴木やすし「社長さんはいい気持ち」
それにしてもここまでの3曲の可笑しな歌詞は、全部浜口庫之助さんなのです。でも曲がいいから好きです。


シングル(1963年8月発売)

作詞・作曲:浜口庫之助/編曲:小杉仁三


鈴木ヤスシ(現在の表記):

1941年10月9日、東京都大田区生まれ

※ビートルズ映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」と「ヘルプ!4人はアイドル」でリンゴ・スターの吹き替えをやっている。

1953年、劇団に入団。

1957年、「背番号16-川上哲治物語」(NTV系)で川上選手の少年時代の役でテレビ初出演。

大学時代、”ロカビリー・ウェスト”を結成し、ロカビリー全盛期時代に活躍。

1961年、フジテレビ「ジャズ・トーナメント」に、司会と歌でレギュラー出演。

以後、タレント・俳優・声優として活躍。

1962年6月、「ジェニ・ジェニ」がヒット。
小林旭「自動車ショー歌」
ダジャレ歌詞の最高峰。これに気をよくしたか、マイトガイ・アキラはダジャレ・シリーズを何曲も出している。「恋の山手線」も秀逸。


シングル(1964年10月15日発売)

作詞:星野哲郎/作曲:叶弦大/編曲:重松岩雄

1965年製作の映画「投げたダイスが明日を呼ぶ」の挿入歌として使用された。


NHKでは当然のように放送禁止処分。1993年、小林が「ふたりのビッグショー」に出演した際、初めてフルコーラスを歌った。

オリジナル歌詞の1番にあった「ここらで一発シトロエン」が、日本民間放送連盟の「要注意歌謡曲指定制度基準」に抵触し、民法でも放送禁止処分を受けたため、「ここらで止めてもいいコロナ」に変更して再発売された。
植木等「ショボクレ人生」
日本最高のコミックソングは今なお、半世紀以上も前に作られたクレージーキャッツの一連の曲だと思います。これはその中でも歌詞のクオリティが最高。


4th シングル「これが男の生きる道」と両A面(1962年12月20日発売)

作詞:青島幸男/作曲・編曲:萩原哲晶

映画「ニッポン無責任野郎」(1962年12月23日公開/古澤憲吾監督)挿入歌


植木等(本名同じ):

1926年12月25日 - 2007年3月27日 三重県多気郡宮川村大字栗谷(現:多気郡大台町)で浄土真宗・常念寺住職の三男として生まれる。

1957年3月、渡辺晋とハナ肇により”クレージーキャッツ”に勧誘される。

1961年8月、「スーダラ節」リリース。

1962年公開の映画「ニッポン無責任時代」に主演し大ヒット。以降数多くの無責任シリーズやクレージー映画に出演する。並行して数々のコミックソングがヒットし、テレビでも「シャボン玉ホリデー」(1961〜1972年 NTV)を初めとする数々の番組に出演、爆発的な人気を得る。

1970年代以降は俳優としての活動が多くなる。

1990年、23年ぶりに第41回NHK紅白歌合戦に出場し、歌手別最高視聴率を獲得した。

2007年3月27日、肺気腫による呼吸不全で死去。享年80歳。

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