爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.79 「セリフが
ある歌♪特集」

いい音爆音アワー vol.79 「セリフがある歌♪特集」

2017年6月14日(水)@風知空知

「セリフ/台詞/科白」がある歌が世の中にはたくさんあります。

歌には歌詞という言葉がたくさん並んでいるのに、なぜまた改めて別の言葉で語るのでしょう?と常々疑問に思っていました。

そこでセリフがある歌を思いつくまま、出会うまま、いろいろ集めて並べてみました。

いろんなタイプがあって一概には言えませんが、昔ながらのオーソドックスなタイプのものに限りますと、メロディがあるとどうしても言葉に浮遊感が生まれ、つまりやや現実味が薄れるのに対し、日常会話のように言葉を語ることで現実感を取り戻す、言わば、甘く濃厚な鰻重の味をピリリと引き締める山椒のような役目を、セリフが果たしているように思えます。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
The Diamonds「Little Darlin'」

「ヤーヤヤヤヤー」と「バッシュワリワリ」と「セリフ」で有名な典型的ドゥーワップ・ソング。

∨シングル(1957年2月8日発売)

作詞・作曲:Maurice Williams

※カヴァー:オリジナルは”The Gladiolas”(1957年1月)

lead vocal: Dave Somerville

セリフ:Bill Reed

レーベル:Mercury

全米2位(8週間)、1957年の年間3位


ザ・ダイアモンズ:

1953年、デイヴ・ソマーヴィルDave Somervilleを中心に4人で、カナダのトロントで結成。

1955年、Coral Recordsより「Black Denim Trousers & Motorcycle Boots」でデビュー。

1956年、Mercury Recordsに移籍し、3月に「Why Do Fools Fall in Love」をリリース。

1959年、ソマーヴィル以外の3人が脱退。

メンバーチェンジを繰り返しながら現在まで活動を継続。

2015年7月14日、ソマーヴィル死去。
島倉千代子「からたち日記」

「台詞入りの歌は売れないというジンクスを破って大ヒット」という情報があるんだけど、そんなジンクスほんとにあったのか?今後追求したいです。

∨シングル(1958年発売)

作詞:西沢爽/作曲:遠藤実/編曲:牧野昭一

レーベル:日本コロムビア


しまくら・ちよこ(本名同じ):

1938年3月30日〜2013年11月8日、東京府東京市(現:東京都)品川区北品川生まれ。

1954年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、同社と専属契約。

1955年3月、「この世の花」(同名映画の主題歌)でデビュー。

 1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な量の新曲を発表。

1958年、「からたち日記」が大ヒット。

2013年11月8日、肝臓癌により死去。満75歳没。
中村メイコ「田舎のバス」

CMソングの名人だった三木鶏郎とトークの天才だった中村メイコ。二人の才能が重なってこのユニークな作品が生まれた♪

∨シングル(1955年2月発売)

作詞・作曲:三木鶏郎

レーベル:ビクター


なかむら・めいこ:

1934年5月13日、東京府生まれ。

2歳の時にP.C.L映画製作所(現・東宝)製作の映画「江戸っ子健ちゃん」で女優デビュー。

1952年、三木鶏郎演出・音楽のラジオドラマ「緑の天使」に出演。三木氏にその才能を高く評価される。

1957年、神津善行と結婚。
Toni Wine
「My Boyfriend's Coming Home For Christmas」

セリフの終わりで転調して次の歌に突入するイキなしかけ。

∨シングル(1963年発売)

作詞・作曲:Toni Wine

レーベル:Colpix Records


トニ・ワイン:

1947年6月4日、米国ニューヨーク市生まれ。

1960年代〜70年代に活躍したポップ・ソングライター。

1966年、キャロル・ベア・セイガーCarole Bayer Sagerと共作で、”The Mindbenders”の「A Groovy Kind of Love」を提供、全米1位となった。

1969年、アニメ上のグループ”The Archies”に参加、「Sugar, Sugar」は全米1位となった。

1970年、”Dawn”の「Candida(恋するキャンディダ)」を共作し、コーラスにも参加、全米3位。Dawnは翌年” Tony Orlando and Dawn”として全米1位のヒット曲「Knock Three Times」をリリースする。
Jackson 5
「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」

いちばん好きなクリスマス・ソングで、さらにこのマイケルの歌がたまらん。季節外れだけど。

∨4th アルバム『Jackson 5 Christmas Album』(1970年10月15日発売)収録

作詞・作曲:Tommie Connor

※カヴァー:オリジナルはJimmy Boyd(当時13歳)が1952年7月にリリース(セリフはなし)。

レーベル:Motown


ジャクソン・ファイヴ:

Jackie Jackson: 1951年5月4日生まれ

Tito Jackson: 1953年10月15日生まれ

Jermaine Jackson: 1954年12月11日生まれ

Marlon Jackson: 1957年3月12日生まれ

Michael Jackson: 1958年8月29日〜2009年6月25日
1964年、インディアナ州ゲイリーで結成。

1967年11月、Steeltown Recordsと契約。シングル2作リリース。

1968年7月、モータウンのオーディションを受ける。社長のベリー・ゴーディ・Jr. Berry Gordy, Jrはスティーヴィー・ワンダーに思い入れがあったので、最初断ろうとするが、思い返し、1969年3月に契約する。

1969年10月、1st シングル「I Want You Back」リリース、いきなり全米1位。続いてシングル「ABC」「The Love You Save」「I'll Be There」と4作連続で1位を獲得する。

1975年、より良い条件のEpic Recordsに移籍を決める。ただし、ジャーメインはベリーの娘ヘイゼルHazelと結婚しており、モータウンに残る。

ランディ・ジャクソンRandyが加入。

1983年、ジャーメインが復帰。

1984年12月、マイケルが脱退。

1985年1月、マーロンが脱退。

1989年、アルバム『2300 Jackson Street,』を最後に解散。
アン・ルイス「グッバイ・マイ・ラブ」

ロック歌謡以前の17歳のアン。英語でセリフ。とてもキュートな歌です。

∨6th シングル(1974年4月5日発売)

作詞:なかにし礼/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路

レーベル:ビクター

オリコン14位


Ann Lewis:

1956年6月5日、神戸市生まれ、横浜市中区本牧育ち。

父親が米国人(米海軍の軍人)で母親が日本人のハーフ。

1971年2月25日、シングル「白い週末」でデビュー。

1978年5月、「女はそれを我慢できない」でロック路線に。

1979年12月、「恋のブギ・ウギ・トレイン」リリース。

1980年、桑名正博と結婚。

1981年、長男・美勇士を出産。

1984年、桑名正博と離婚。「六本木心中」がヒット。

1995年頃、パニック障害で活動休止。
鶴田浩二「傷だらけの人生」

いきなり「古いやつだとお思いでしょうが」のセリフから始まるインパクト。バカボンのパパの愛唱歌らしいです。

∨16th シングル(1970年12月25日発売)

作詞:藤田まさと/作曲・編曲:吉田正

レーベル:ビクター

オリコン2位、71年度年間4位

第13回日本レコード大賞大衆賞・第4回日本有線大賞


つるた・こうじ:

1924年(大正13年)12月6日〜1987年6月16日 兵庫県西宮市生まれ。

1944年、学徒出陣令により徴兵、終戦まで海軍航空隊に所属。

1947年、薬の副作用で左耳が難聴になってしまう。

1948年、松竹に入社。

1949年、「フランチェスカの鐘」で初主演。

 同年、「男の夜曲」で歌手デビュー。

平凡・明星でも人気投票No.1を守り続け、昭和20年代最大のアイドルとして君臨。

1987年6月16日、肺癌のため62歳で死去。
ソルティ・シュガー「走れコウタロー」

モノマネから超早口、技ありのセリフを披露したメンバーは発売前に急死!という劇的な顛末。

∨2nd シングル(1970年7月5日発売)

作詞:池田謙吉/作曲:池田謙吉&前田伸夫

セリフ:池田謙吉

レーベル:ビクター

オリコン1位 第12回日本レコード大賞新人賞


・70年3月にレコーディングを終えたが、5月にリーダーで作者、美濃部都知事のモノマネも実況中継も、3番のリードボーカルも、コーラスのハイパートも担当していた池田が急死!解散も考えたが、大学進学時に脱退していた元メンバー・佐藤敏夫が1年だけならと復帰、活動を継続した。
Salty Sugar:

都立日比谷高校の同級生を中心に、山本コウタロー、池田謙吉、佐藤敏夫、手塚通夫、高橋隆が結成。高卒後デザイナーを目指す佐藤が脱退したが、「さとうとしお」の名前にちなんでグループ名を「ソルティー・シュガー」とした。

1969年12月、「ああ大学生」でデビュー。鳴かず飛ばず。1970年7月、2nd シングル「走れコウタロー」リリース。大ヒット。

1971年6月30日、解散。

その後山本は、武蔵野タンポポ団を経て、”山本コウタローとウィークエンド”を結成。1974年に「岬めぐり」をヒットさせた。
海援隊「母に捧げるバラード」

フォーク界からもう1曲。武田鉄矢の役者的才能が開花したセリフ?

∨シングル(1973年12月10日発売)

アルバム『望郷篇』(1973年9月25日発売)収録

作詞: 武田鉄矢/作曲: 海援隊

レーベル:エレックレコード

オリコン10位


かいえんたい:

武田鉄矢が店員をしていた博多のライブ喫茶「照和」から、ブルースロックバンドとして出発。

泉谷しげるに誘われて上京し、1972年10月、アルバム『海援隊がゆく』でデビュー。

1973年末から「母に捧げるバラード」がヒット、1974年の「NHK紅白歌合戦」に出場。

しかしすぐに低迷し、1975年の大晦日、武田は妻とともに居酒屋で皿洗いをしていたらしい。

1977年1月、「あんたが大将」がヒット。

1979年11月、武田主演のTBSドラマ「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」が大ヒット。
いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー
「私自身」

セリフはともかく、今聴いても充分カッコいいアレンジと演奏。名盤です。

∨アルバム『アワー・コネクション (Our Connection)』(1977年4月25日発売)収録

作詞:橋本淳/作曲・編曲:細野晴臣/プロデュース:橋本淳

レーベル:日本コロムビア


いしだ・あゆみ:

1948年3月26日、長崎県佐世保市生まれ、大阪府池田市育ち。

1964年4月、ビクターより「ネェ、聞いてよママ」でデビュー。

1968年6月、日本コロムビアに移籍、「太陽は泣いている」がオリコン18位。

1968年12月、「ブルーライト・ヨコハマ」リリース。オリコン1位の大ヒット。

1980年、萩原健一と結婚。(1984年に離婚)

1982年、映画「野獣刑事」、「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」の両作品で第6回日本アカデミー賞主演女優賞を獲得。

1986年、映画「火宅の人」で、報知映画賞、ブルーリボン賞、第10回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞。
イエロー・マジック・オーケストラ
「TECHNOPOLIS」

セリフとは言えないかな?ヴォコーダー・ヴォイスの質感はYMOのスタイルにピッタリでした♪

∨1st シングル(1979年10月25日発売)

2nd アルバム『SOLID STATE SURVIVOR』(1979年9月25日発売)収録

作曲:坂本龍一/編曲:イエロー・マジック・オーケストラ/プロデュース:細野晴臣

レーベル:アルファ・レコード

オリコン9位 アルバムはオリコン1位


・ローランドVP-330の試作機を使ったヴォコーダー・ヴォイスは坂本龍一

・「T・E・C・H・N・O・P・O・L・I・S」の部分は12拍を正確に10分割したテンポで発音されている。
Yellow Magic Orchestra

1978年2月、結成。

1978年11月、1st アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』をアルファ・レコードより発売。

1979年9月、2nd アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』リリース。

 同年10月16日、ワールド・ツアー「YELLOW MAGIC ORCHESTRA TRANS ATLANTIC TOUR」を敢行。

1980年6月、3rd アルバム『増殖』リリース。

 同年10月、第2回ワールド・ツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」スタート。ツアー中、米テレビ番組「ソウル・トレイン」に日本人アーティストとして初めて出演。

1983年3月、シングル「君に、胸キュン。」リリース。カネボウ化粧品のCMタイアップ。細野作・編曲の松田聖子「天国のキッス」に阻まれ、オリコン2位が最高であった。

 同年5月、6th アルバム『浮気なぼくら』リリース。

 同年10月、「散開」宣言。
マライア「花が咲いたら」

これはメガフォン・ヴォイス?8分もの大作ですが飽きさせないカッコよさです。

∨5th & Last アルバム『うたかたの日々』(1983年2月21日発売)収録

作詞:生田朗/作曲:清水靖晃/編曲・プロデュース:マライア

レーベル:Better Days(日本コロムビア)


MARIAH:

1979年、”清水靖晃グループ”=清水靖晃(sax)、笹路正徳(key)、秋山一将(g)、土方隆行(g)、松本博(key)、岡沢茂(b)、岡野等(tp)、伊東毅(sax)、山木秀夫(dr)、村川ジミー聡(vo) としてアルバム『マライア』をユピテル・レコードからリリース。

 その後、ベースが渡辺モリオに変わり、”マライア・プロジェクト”に発展。

1980年8月、清水、笹路、土方、渡辺、村川、山木の6人で”マライア”として、キング・レコードより1st アルバム『YENトリックス』をリリース。

1981年、日本コロムビアに移籍し、10月、3rd アルバム『マージナル・ラヴ』をリリース。

村川が抜けた後、1983年2月、5th アルバム『うたかたの日々』をリリース。

1985年、正式解散。
Stevie Wonder
「Don't You Worry 'Bout a Thing(くよくよするなよ)」

冒頭にドラマの1シーンのような会話。ミニ・サウンド・トラックみたいな感じかな。

∨第3弾シングル・カット(1974年3月発売)

16th アルバム『Innervisions』(1973年8月3日発売)収録

作詞・作曲・編曲・プロデュース:Stevie Wonder

レーベル:Tamla

全米16位、R&B2位 アルバムは全米4位、R&B1位、全英8位


・1974年のグラミー賞で「Album of the Year」、「Best Engineered Non-Classical Recording」を受賞した。

・アルバム発売の3日後、スティーヴィーは交通事故に会い、4日間意識不明になる重傷を負う。
スティービー・ワンダー(戸籍名: Stevland Hardaway Morris):

1950年5月13日、ミシガン州サギノー生まれ。

6週間の早産で、保育器内での過量酸素が原因で視力を失う(未熟児網膜症)。

11歳のとき、モータウンのオーディションを受け、合格。

1962年末、「モータウン・レビュー」に参加した際のライブ録音が、1963年の5月、3rd アルバム『Recorded Live: The 12 Year Old Genius』としてリリースされ、全米1位になる大ヒット。同月にシングル・カットされた「Fingertips - Part 1 & 2」も全米1位。13歳での1位獲得は現在でも史上最年少の記録。

1971年の13th アルバム『Where I'm Coming From(青春の軌跡)』からは自作のプロデュース権を獲得し、「タウラス・プロダクション」を設立、ニューヨークに移住して、モータウンから半独立のスタンスをとった。

自身の新たな音楽を模索していたある時、ロバート・マーゴレフRobert Margouleffとマルコム・セシルMalcolm Cecilという2人のエンジニアによるユニット”Tonto's Expanding Head Band”のアルバム『Zero Time』(1971)を聴き、使われていた当時開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーに強い感銘を受けた。

スティーヴィーは2人を訪ね、ともに音作りを始め、『Music Of My Mind』(1972)、『Talking Book』(1972)、『Innervisions』(1973)、『Fulfillingness’ First Finale』(1974)の4枚のアルバムに余る曲をかたちにしてしまう。
Erykah Badu「Penitentiary Philosophy」

これも会話シーンから始まるミニ・サウンド・トラック形式。後半のクールな盛り上がりがナイスです。

∨2nd アルバム『Mama's Gun』(2000年10月31日発売)収録

作詞・作曲・プロデュース: Erykah Badu, James Poyser, Ahmir ""Questlove"" Thompson, Pino Palladino

レーベル:Motown / Puppy Love

アルバムは全米11位、R&B3位
・ディアンジェロD'Angeloらとともに「ネオ・ソウル」と呼ばれる。
エリカ・バドゥ:

1971年2月26日、米国テキサス州ダラス生まれ。

1995年、ディアンジェロのマネージャーだったケダル・マッセンバーグKedar Massenburgが、彼女のデモを聴いて気に入りスカウト、ユニバーサル・レコードとの契約を成立させる。

1997年2月、1st アルバム『Baduizm』リリース。全米初登場2位。グラミー賞で、アルバムは「Best R&B Album」、シングル「On & On」は「Best Female R&B Vocal Performance」を獲得。

1998年、映画「Blues Brothers 2000」に出演。

2000年10月、2nd アルバム『Mama's Gun』リリース。

2003年9月、3rd アルバム『Worldwide Underground』リリース。

2008年2月、4th アルバム『New Amerykah Part One』リリース。

2020年3月、5th アルバム『New Amerykah Part Two』リリース。
Taylor Swift「Shake It Off」

“Shake it off”は「気にするな」という意味だって。今でもラジオで流れるとノッてしまいます。

∨先行シングル(2014年8月18発売)

5th アルバム『1989』(2014年10月27日発売)収録

作詞・作曲:Taylor Swift, Max Martin, Shellback/プロデュース:Max Martin, Shellback

レーベル:Big Machine

全米初登場1位 アルバムも全米初登場1位
・アルバムは2016年、第58回グラミー賞で、「Album of the Year」、「Best Pop Vocal Album」を獲得。
テイラー・スウィフト

1989年12月13日、米国ペンシルヴァニア州ウェスト・レディング生まれ。

父親は銀行マン。母親は銀行から専業主婦。祖母はオペラ歌手。

9歳、歌とダンスのレッスンのためにニューヨークに通う。

2005年、設立されたばかりのレーベル「Big Machine Records」と契約する。

2006年10月(16歳)、1st アルバム『Taylor Swift』リリース。全米5位まで達し、157週間チャートにランクインした。

2008年11月、2nd アルバム『Fearless』リリース。全米初登場1位、2009年の年間1位。

2010年の第52回グラミー賞にて、史上最年少で「Album of the Year」を獲得。

2010年10月、3rd アルバム『Speak Now』リリース。

2012年10月、4th アルバム『Red』リリース。全米初登場1位。

2014年10月、5th アルバム『1989』リリース。全米初登場1位。
Thomas Dolby
「She Blinded Me With Science(彼女はサイエンス)」

セリフの”Good heavens, Miss Sakamoto, you're beautiful!”の「ミス・サカモト」は矢野顕子のこと。

∨シングル(1982年10月発売)

1st アルバム『The Golden Age of Wireless(光と物体)』2nd-UK-edition(1983年発売)

作詞・作曲:Thomas Dolby, Tim Kerr/プロデュース:Thomas Dolby

セリフ:Magnus Pyke

レーベル:Venice in Peril (UK)/Capitol Records (US)

全米5位 全英49位


・”to blind [someone] with science”はイギリスの口語的言い回しで、「小難しい知識を振り回すことによって誰かを故意に困らせる」こと。

・セリフを発しているマグナス・パイクMagnus Pykeはイギリスの科学者でTVコメンテーター。
トーマス・ドルビー(本名:Thomas Morgan Robertson):

1958年10月14日、ロンドン生まれ。

フォリナーの1981年リリース・アルバム『4』とツアーへの参加で受け取った報酬を使って『The Golden Age of Wireless』が制作され、ソロとしてのキャリアがスタートした。

1982年3月、1st アルバム『The Golden Age of Wireless』リリース。

1984年2月、2nd アルバム『The Flat Earth』リリース。シングル・カットの「Hyperactive!」はMichael Jacksonのために書いたもの。全英17位で、本国イギリスでは最も売れたシングルがこれ。

1985年、「LIVE AID」のロンドン・ステージに、David Bowieのバック・バンドの一員として出演。

1988年4月、3rd アルバム『Aliens Ate My Buick』リリース。

1992年7月、4th アルバム『Astronauts & Heretics』リリース。

1993年、「Headsace社」を設立、ネット・ダウンロード向けの音楽ファイル「RMF」を開発。

2002年、「Retro Ringtones LLC」を設立、携帯電話向けの呼び出し音「RetroFolio」を開発、ほとんどのノキア製携帯電話でその音を聞く事が出来るほどに普及した。

2011年3月、3つの章からなる5th アルバム『A Map of the Floating City』の第2章「Oceania」リリース。第1章はファン向けの限定ネット配信のみ。第3章は「Map of the Floating City」というゲームを通じて配信。
Boz Scaggs「Can I Change My Mind」

68歳でリリースした味わい深いアルバム『Menphis』より。セリフもオーソドックスなラヴ・ソングです。

∨17th アルバム『Menphis』(2013年3月5日発売)収録

作詞・作曲:Barry Despenza, Carl Wolfolk/プロデュース:Steve Jordan

※カヴァー:オリジナルはタイロン・デイヴィスTyrone Davis(1968年)

セリフ:Monet Owens

レーベル:429 Records

アルバムは全米17位


ボズ・スキャッグス:

1944年6月8日、米国オハイオ州生まれ

少年時代をテキサス州で過ごし、セント・マークス・スクールでスティーヴ・ミラーSteve Millerと出会い、バンド活動を始める。

1965年、ヨーロッパを演奏旅行中、スウェーデンのポリドール・レコードからデビュー・アルバム『BOZ』をリリースする。

1968年6月発売の”Steve Miller Band”の1st アルバム『Children of the Future(未来の子供達)』に参加。

1969年8月、アトランティック・レコードからアルバム『Boz Scaggs』をリリース。

1976年3月、アルバム『Silk Degrees』をリリース。全米2位、500万枚以上を売り上げた。次作の『Down Two Then Left』(1977)(11位)、『Middle Man』(1980)(8位)も続いてヒット。

1988年8月、8年ぶりのアルバム『Other Roads』リリース。シングル・カットした「Heart of Mine」は日本でもヒットし、「AOR」という言葉が生まれ、ボズがその代表格とされた。

2013年3月、アルバム『Memphis』リリース。

2015年、アルバム『A Fool to Care』リリース。

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