音楽の核とは何か、ACIDMAN・大木伸
夫へのインタビューで迫る

ACIDMAN大木伸夫。彼らの音楽はエネルギーがあり、深みと遊び心を兼ね備えている(撮影・冨田味我)
 素粒子という言葉を聞くとなんだか難しい話のように思えるが、簡単に言えば目に見えない粒であり、この粒が集まったものが物質と言われている。その目に見えない粒は弦状の形をしており、音や光をも構成しているという話がある。こうした目に見えないものを想像することは心を豊かにする。ACIDMAN大木伸夫へのインタビューはそうした未知との遭遇であり、創造性を膨らませるものでもある。さて、前作「愛を両手に」に次ぐ新作「ミレニアム」はこれまで示してきた大木の考えを曲として具現化したものといえる。2度目のインタビューとなった今回。大木、そしてACIDMANの音楽を構成する素粒子を見た気がした。音楽は目に見えない粒となって聴く者に伝播する。歓声は目に見えない粒となってミュージシャンに波及する。その結果、とてつもない高揚感が生まれる。音楽、そしてライブとはそういうものだろう。何も考えず感情にまかせて音を楽しむのも良いし、その背景を知って楽しむのも良い。ACIDMANの曲にはどちらも楽しめる要素がある――。

生命は繋がり続ける

ACIDMAN
――まず、「ミレニアム」を制作したのはいつ頃でしょうか。
 7年ほど前に最初の段階となる曲を、スタジオで弾き語りして作りました。そこではまだ納得がいかなくて、もっと練り直したいと思いました。それで暇さえあればこの曲の手直しをしていて、やっと今回、一番納得のいく形で作れたと思ったのでレコーディングをしました。
――最初の段階で歌詞も出来ていたのでしょうか?
 最初の頃から数年経ってから歌詞を付け足したり、どんどん変えていったりして、今の歌詞には全然なっていませんでした。ただ、<千年先>など、そういったキーワードは使っていました。
――キーワードとして「千年」を使う意味は?
 もともと具体的な千年という単位でイメージした「千年」ではなくて、漢字で書いたり、響きとしての「千」が昔から好きだったんです。和的なイメージがあるじゃないですか? その昔「千」という言葉は今でいう「百億」とか、それくらい遠いことだったらしいんです。
 「千」というと、とにかく悠久な時間の流れというワードだったらしいので、今回も使わせてもらったんです。今回歌っている「千」は僕の中で何百億年後でもあるし、何千億年後かもしれないし、その先かもしれないし、その昔かもしれないし…、という世界の喩えとして「千」というワードを使っています。
――歌詞は更新されてきたとのことですが、最初に作った当時の考えと今の考え、というのは変わってきていますか?
 いいえ、この曲に関して、以外も僕はずっと同じことに対してしか歌ってきていないので、ずっと同じ考えのままなんです。
――それに合わせてメロディを変えたりすることもありましたか?
 あったかもしれないですけど、メロディを言葉によって変えたことはあまりないんです。この曲を作るにあたって、サビのメロディを何回も変えたりはしました。色んなセクションで色んなメロディを試したり、コードを変えたりと。色々と試行錯誤をしました。
――今、出せるタイミングとなったのは何が揃ったからでしょうか?
 客観的に聴いたときに、ただ激しい曲とか、ただ乗りがいい曲というだけではちょっと自分の中ではつまらなくて、そこにエモーショナルな部分や叫んでいる部分が欲しかったし、淡々としている部分や幻想的な部分も、今回は全部この曲に入れたかったんです。
 全部入れたいという欲望があった訳ではないんですけど、録り終わって気がついたんです。これは20周年の最後のシングルだから、今までのACIDMANを凝縮した作品を作りたかったんだろうなという風に飲み込めていました。それで結果的にそうなって色んな表情のある曲になりました。基本的にはキャッチーで乗りやすい、ライブ映えするであろうという楽曲になったと思います。
――この曲を通して伝えたかったことは?
 この曲だけではないですが、結局いつも同じことを言っていて。太陽がこの世界を46億年間照らして、そして我々の生命は圧倒的に太陽のおかげであり、太陽が生まれたのも138億年前の宇宙のビッグバンであり、想像を絶する時間の流れで僕達が生まれて消えていく。生命が消えていけば物質も消えていく。もしかしたら宇宙もゼロになり、また何かが生まれるかもしれない。
 この時の流れのなかで我々は生きるとか死ぬとかということに悩み、時に喜んで分かち合う瞬間もあれば、殺し合う瞬間もある。そういう、人間と人間、命の不思議な流れを僕は知りたくてたまらないんです。
 この曲に関して言うと、歌詞で<君の最後の息も いつかは鮮やかな花を咲かすだろう>と言っているんですけど、僕らが死ぬ時に最後に残された一つの息で、その二酸化炭素で、植物はエネルギーとして吸収して花を咲かせる。
 今吐いている二酸化炭素も、かつて何億年前にできたものなので、そうやって我々は命を繰り返している。だから命は生まれるものでもなく、無くなるものでもなく、圧倒的な流れのなかで形を変えて存在しているものだと思っているんです。
 だから人間というものは、138億年のなかの一つのエネルギーのループのなかの一つの“現象”なんだなと思うんです。そうすると、ポジティブに考えられるんです。人間が死ぬとか生きるとか、とても悲しいことではあるけど、それは実は繋がっていることなんだ。ということがテーマです。

それぞれに異なる「愛」

ACIDMANの大木伸夫
――人はどうしてもネガティブに考えてしまうという部分があると思うのですが、生命においてのネガティブの根幹とは何だと思いますか?
 生命においてのネガティブの根幹は、僕はないと思っているんです。全てが「生存すること」「繁栄すること」だと思っているんです。それに付随することにストレスを与えるものは“ネガティブ”だと思うんだけど、それも生存の道のものだから、そういう意味でネガティブというのはないと思うんです。
 人間においては、たぶん言葉が生まれたときかなと思います。言葉が生まれて、本能から解き放たれて理性で生きることによって、第三者を、人と人、そして自分の心を認識した瞬間にネガティブというものは生まれると思います。
――犬が死んだときは凄く悲しんだけど金魚が死んだときには…という話を別のインタビューで読みました。その違いがわからなくて調べたそうですね。その答えは見つかりましたか?
 答えはありませんが、神サマのように地球を俯瞰していたら、命って差異はないじゃないですか? でも我々はその命のひとつの生命体としているから、差異はあるんですよね。僕らにとってハエや蚊は一瞬で殺せちゃうかもしれないけど、愛している犬だったり愛している人間の仲間が死ぬことに対してはとても悲しいんです。
 僕らは神サマでもなんでもないから、僕達の世界を生きているんだと思うんです。だから、金魚とはコミュニケーションがとれないので、金魚への愛と犬への愛は全然違うんだなと。でも目標とすることは、全ての生きとし生けるものに魂が存在していて、全てを愛そうというのは、目標として掲げるべきかなとはいつも思っています。
――コミュニケーションができない、というのは核心をついているように思えます。
 例えば、ロボット犬とか昔あったじゃないですか? 彼らが動かなくなったときに寂しく感じるのは、彼らを一つの生命体として飼い主が受け止めているからだと思うんです。

エネルギーと響き

――生で聴く音とCDを再生して聴く音は全然違うように、コミュニケーションという部分でもそうですよね?
 そうですね。全然違うと思いますね。もう出ているものが違うと思うんです。今でこそ音は粒子であり波動である、その両方の性質があると言われていますけど、まだちゃんと解明されていないので、音って波の揺れだけではないと思っているんです。ライブでは波だけではない、光のように何か他の物質が出ているのではないかという可能性はあると思うんです。
――例えば、ピタゴラスが提唱した「天球の音楽」。宇宙では全ての物質が重なり合って音が出て続けているが、通常の状態なのでその音に気付いていないということだそうです。それと似ていて気付いていない音や波も。
 僕はそう思っていますね。物質の最小単位である素粒子は「超弦理論」、ひも状であると言われているので、僕らの最小単位は弦になっているんですって。だから弦になって、それがはじかれて響きによって、「A」という響きのときは「A」という物質、「B」という響きのときは「B」という物質、という風になるんです。
 今、素粒子は17個見つかっているんです。でも全部一緒なんじゃないかというのが最先端の説なんです。だから全ては響きであり、というのは揺れているバイブレーションであり、くっつけ合うのもバイブレーションだし、離れるのもバイブレーションだし、だと思って僕は生きています。
――ということは、CDの場合は曲とは別に、ディスクを読み取るときなど、それが物理的に触れて発している音や波もあるかもしれないですね?
 僕らや科学では説明しきれないことが絶対にあって、目に見えない世界でほとんどが成り立っていて、観測すらされていないダークマター、ダークエネルギーのなかで生きていると思うんです。同じCDをプレスして、同じ音なのにどこか違うということは絶対にあると思うんです。まだ知らないだけで。
 だからライブというのは最たるもので、そこに本人がいて、我々もお客さんからのエネルギーを頂いて、そのエネルギーというのは、実際に物質が出ていて、その物質をこちら側が吸収して、こっちも物質を出していて、ということが、目には見えていないだけで実はおこなわれていると思うんです。だからライブというのは非日常の体験というもののなかで素晴らしいものだと思うんです。
――そのエネルギーの流れを可視化したら凄そうですね。
 もうブワーって感じでしょうね。昔、NHKのドキュメンタリー番組でそういう実験をしていましたね。ネバダ州の砂漠で行われている『バーニングマン』というイベントがあるんですけど、何の電波などの干渉がない砂漠に、毎年のようにフェスとして、何万人もの人が集まって街をつくるんですよ。一週間だけ街をつくって、ルールはケータイもお金もなし。そこで音楽をやったりして一週間を過ごすんです。最後にもの凄く大きい人間の形をした木を「バーニングマン」と呼んで、みんなで燃やして、それを何万人もの人で大興奮するんです。
 それを科学者が「そこに物質が渦巻いているんじゃないか?」ということで、それを観測できる機械で調べたら、バーニングマンを燃やしたタイミングにブワーっと物質のやりとりがされていたらしいんです。だから、我々がフェスとかライブとかでも、そういう風に可視化したらすごいモノが溢れていると思います。
――素粒子の話も含めて、そうしたエネルギーや目に見えない物質などで繋がっているのだとしたら、人間同士、本当は話さなくても理解し合えているのかもしれませんね。
 そうだと思いますよ。あるひとつの、人間という現象だと思うので、みんな同じ現象をしている仲間たちだと思っています。

歌詞は感情と理性の答え合わせ

ACIDMANの大木伸夫
――先ほど、「言葉があり、理性が生まれた」と話していましたが、歌詞にはどういった役割があるでしょうか?
 僕は歌詞を最後に書くんです。いつも答え合わせをしているような感覚です。曲は感覚的に作って、歌詞は理性的につくるんです。だから使う脳の部分が違うと思うんです。たぶん曲を作るときは右脳で、歌詞を書くときは左脳を使っていると思います。脳波チェックみたいなやつをやると、僕はいつも半々の人間なんです。
 ただ、あまりいいことでもないんです。普通だったらどちらかに偏るというか。ミュージシャンだったら本当は右脳人間じゃなければいけないんだけど、半分が必ず僕は理性的で。だから曲作りが全然違うんです。メロディを書いて、このメロディを追う言葉としては何がいいんだろう、何でこのメロディなんだろう、と、研究者っぽく言葉を紡いでいくことが多いです。
――メロディが生まれたときの情景も思い浮かべたり?
 そのときに具体的なものがあれば楽なんですけど、ないときは「何だろうこの感じ? 何だっけな」みたいな。色でも、赤か青か、どちらでもない、混ぜてみたら…ああこれだ! というような感覚と同じです。
――今作でもそういった点はありましたか?
 一番最初の歌い出し<太陽が紡いだ 何億もの物語>というのも、一言目の壮大な空気が始まりそうで、宇宙でも生命でもいいのに、“太陽”のときにピンとくるんです。言っていることは一緒なんですけど。
――その言葉がはまると。
 そう。はまる瞬間でしっくりくるというのはそういうことなんです。
――そのときに大木さんが理論的に考えつつも、心が左右されているというところもある?
 もちろんそうだと思います。
――理性というのは良くも悪くもある、という風に思います。
 そこを僕はなんとか良い意味だけにして考えていければと思っているんです。僕が目指しているのは凄く綺麗事なんだけど、綺麗事を信じているというか、信じればちょっとでも世界は良くなると思うんです。でも人間などが存在するというということは、必ずネガティブなものが生まれてくるので、良いことと悪いことは半々だと思うんです。
 そこはなるべくポジティブな方を見ることによって、ネガティブな部分を拒絶するのではなく、受け入れるというか理解するというか、そうするべきかと思うんです。人の悲しみを少しでも救えるのであれば、その悲しみを無くすことはできないけど、そこから乗り越えられるエネルギーを与えられるようなことが少しできる気がしているんです。
――大木さんの言葉はすごく聞き取りやすくて、メッセージ性はすごく強烈なものなのに、すんなり入ってくるんです。以前のインタビューでも言葉選びには凄く注意をしていると話していました。その中で「この言葉だけは絶対に伝えたい」という核はありますか?
 そうでもないですけどね。僕はずっと信念や思想というのはずっと変わらないんです。子供の頃からずっと同じことを言っているような人間なんです。それが形を変えて音楽という形で伝えだしているというだけで。
 ただの人間なんだけど、贅沢な環境でやらせてもらうときには、ちょっと胸を張って言いたくなるというか。「もともと僕たちは一つだったんだぜ」とか「人間だってその目の前で争いあっているあなた達も本当はひとつだぜ」とか。それは綺麗事なんですけど事実だったりするじゃないですか。そこは、僕は胸を張って言っていきたいと思っているんです。そのためには勉強は欠かさないようにしているんです。

感覚的な好きも嬉しい

ACIDMANの大木伸夫
――これも以前のインタビューで聞いたことですが、「大木さんの考えというのはファンの方々はどれだけ理解しているか」という問いに「できてきていると思います」と答えていました、改めてうかがいます。
 本当は100%理解してほしいけど、理解しなくても「感覚的にACIDMANが好きだ」と言ってくれるのも実は嬉しいんです。その人は何かを気付いてくれているのかもしれないし、同時にどっぷり理解してくれて、僕がライブで感動しているときにみんなが感動して涙を流している様には、本当にこっち自身がもの凄く感動するし、得られるものが多いです。
 この人の人生の一部にとって、僕が作ってきたものというのが凄く意味のあるものになってくれている気がすると、凄く感謝しているし、だからこそ僕は曲を作るときに、全部自分で勝負しなければいけないというか、僕がないものをどこかから引っ張って、さも自分が作ったかのように作るのって絶対にしたくないんです。
 自分が信じた世界で、全部自分の責任の中で曲を作って、そのときに感動してくれる人の姿を見ると僕としても非常に救われるんです。こんな美しいことはないなと思います。
――中には、聴き手によって曲の受け取り方は自由だ、ということであえて歌詞もぼやかしたりするという方もいますが、大木さんの場合は?
 僕は両方あります。基本的に自由だと思っています。発表した瞬間に、それぞれの人たちのものになるし、それをこちらがとやかく言おうが、その人がそういう歌と捉えたのならばそういうものだと思います。昔はもっと自由で、絵で言ったらシュールな抽象的なものが好きだったから、言葉もなるべく抽象的にしていていたんですけど、今でもそういう手法は使います。とにかく感動してもらえれば。丸めてポイさえしてくれなければ、それが一番辛いことなので。

カップリングの秘密

ACIDMANの大木伸夫
――そのなかで2曲目の「Seesaw」。インパクトが強いですが、この曲に込められた思いは?
 これはダジャレです(笑)。遊具のシーソーと思想って言葉の響きが似ているなと。カップリングの曲ってすぐに出来るんです。言い方で誤解を招くかもしれないけど、あんまりファンのお客さんの顔は見えていないというか、かなり自己満足で作れるので、「思想とシーソー、ダジャレで似ているから繋げてみよう」と、気軽な気持ちでスタートしました。
――表題曲を作るときとカップリング曲を作るときの、大木さん自身の空間の違いはどんな感じですか?
 もう休み時間みたいなときにカップリング曲を作っています。今回に関しては。今までカップリングをほとんど作ってこなかった理由はそれで、熱を込めたもの以外はこの世に出したくなかったんだけど、今回からカップリングをやっているのは、「ちょっとオフってみたものも出していいかな?」と、歳を重ねたせいもあってそう思っているんです。それでこの曲も気楽に表題曲に煮詰まったときに、ちょっとギターを弾いてメロディを作って「思想とシーソーか…」みたいに。
 こじつけではあるけれど、これらは人間のバランスと一緒じゃないですか? 我々ってそうやって生きているから。何かが大きすぎると片方は下がっていくというのは“バランス”で、人間も含めてあらゆる生命体がちょうどいいバランスでつり合うことを目標にして生きていると思うので。僕が目指している思想もそれだったりするので、シーソーと思想が混ざるなという感じで作った曲です。
――お話をうかがうとライトな感じで作ったようですが、そうでもない内容だという。
 曲的には重めですね(笑)。でも気楽に作れました。
――ライブではどんな光景が浮かびますか?
 まだライブでやるという想定はしていないんですよ。あくまで表題曲のカップリングという感じでやっています。
――3曲目「青の発明」はどうでしょうか?
 これも同じような感じです。メインの曲を書いているときに、箸休めじゃないですけど、そういった感じで作った曲です。
――最初のベースの音が印象的です。
 実はあればギターなんですよ。指ではじいて弾いてるんです。ギターはずっとループを踏んで、ギターを重ねていって作りました。
――どうしてもこの曲にも深い意味があるのではと探ってしまうのですが。
 インストに関しては全然ないんです。タイトルもギリギリで決めたくらいだし、「何でもいいや」と思って(笑)。歌詞を書いているときだったっけな? 「インストを作ろう」と思って、ギターを持って最初のフレーズを弾いてループさせて、「さあ、その上に何が合うかな」と弾いていって、メンバーが来たときにジャムっていい所を抽出してくっ付けたという感じです。楽しみながらインストゥルメンタルをやっている感じですね。
(※ジャムる:即興で演奏を合わせてセッションをすること。「ジャムセッション」をするの意)
――ジャケットが今回このようになっている意図は?
 これは僕らが撮った作品ではなくて、合う写真をネットや写真集で探したりして見つけた一枚なんです。カナダの写真家さんがとった作品なんです。その方がウェブサイトに載っけていたものを僕が見つけて、連絡してもらってギリギリになって使用許可が出て、という感じです。
――実際の光景なのですね。
 よく見ると処理はしていると思うんです。光が段々になっているんです。時空を超えているような、だけどファンタジックでポジティブな写真をずっと探していて。

ライブは自由な場所

ACIDMANの大木伸夫
――ライブに求めているものは、強い意味や哲学的なものではなく、「楽しんでもらえれば」というところでしょうか?
 欲望としては、一番はそれがあります。マックスとしては僕が好きな世界観でみんなが集まってくれれば嬉しいし、僕が教えるというよりも、みんなが共感しあうというのが理想ですけど、あまりそれを強いてしまっても、やっぱり来てくれる方の自由な場所だったりするので、その方の楽しみ方、例えば目を閉じて聴いている方もいいし、汗だくになって転がってくれる方も嬉しいし、「曲なんか知らないよ。ただ暇つぶしで来たんだよ」という方も、その場に来てくれるだけで同じくらい嬉しいんです。だから強制はしていないんです。
――音の作り方やライブのやり方ですが、人って変わっていくものだと思うのですが、今の時代の人に合うやり方が色々とあると思うんです。そのあたりも考えますか?
 そういうのは全くやらないんです。不得意というか、「自分の中にないものでやる」ということができない人間なんです。それで人様からお金を頂くことは絶対したくないんです。
――信念があって、それを固めるためには考えや知識も大事ですし、大木さんと接していると、ダイナミックで深いと感じます。
 ありがとうございます。ペラッペラですけどねホントは(笑)。
――いいえ(笑)。ファンの方以外にも読者の方にも「こういう深さ、想いがあるんだよ」ということを伝えたいんです。ちょっとぶしつけな質問ですが。
 僕もそれを悩み続けて20年、難しいですよね。どうやったらそういうことに気付いてくれるかということは…。これもちょっとおおげさなんですけど、ライブで以前に言ったことがあって、ACIDMANを好きでいてくれる人って、ある意味、少し悲しみを経験していないと多分難しいと思うんです。
 そういう悲しみを知って、苦しんで悩んでいる人にとってはこの哲学は通用するんですけど。本当に楽しくて、不幸もなくて、という人にはあまり響かないと思います。「何でそんなに暗いの?」とか「何でそんなに悲しんでいるの?」とか思われちゃうだけなので。だからそこはいつかみんなわかってくれるときが来るんじゃないかなと思っています。
――悲しみを少しでも和らげることが核でもある。
 そうですね。ただ、一番は自己満足につきると思うんです。僕はこういうのが好きだから。日本の歴史が好きな人もいれば、僕は宇宙の歴史が好きだったり、宇宙の真理が知りたい人間なんです。そこに常に感動をしながら生きているんです。
 音楽とは全然違う話になっちゃうんですけど、一番はそれですね。たまたまそこに“音”というものをくっ付けられる職業に就けて、たまたまそこで「実は音楽というものは一番真理に近い」ということに気付いて、じゃあ僕が歌っていることと音楽と凄く一緒だということに気付かされて、という感じです。
――ファンの方がどういう形で付いていくかということや、ファンではない方がどういう風にしていくのか、というエネルギーの流れが凄く面白いと思います。
 僕らの音楽って、自分で言うのもおこがましいですけど、古くならないと思っているんです。「昔聴いていたな、あの頃は若かったな」という曲ではないんです。真理を目指している言葉だから、何年経っても聴けるんです。何十年経っても追い求めているものが一緒なので、いつか気付いてくれる人は増えると思うんです。今わかってくれる人はずっと好きでいてくれると思うし、そういう感じなんです。
――以前、日本文学の専門の先生と話をしたときに、小説などが平安時代からずっとあるのは、ずっと不倫のことを書いてきているからだ、結局人間は何も変わっていないので語り継がれると。大木さんの音楽、歌は、人間の本能、本質に気付かせてくれるのだと思います。
 気付かせているというよりかは、自分が探求しているという感じでしょうか…。ある意味、形を変えた宗教だと僕は思っているので。僕は神様ではないけれど、「僕はこういう哲学をもっています。そこに賛同してくれる人は集まって欲しい」という感じなんです。でもやっぱり僕も半分くらいはエロスですけどね。さっきの平安時代からの小説じゃないですけど。やっぱり人間のエロスというのは一番大事なエネルギーだと思っているので。
――エロスのエネルギーは凄いですよね。
 みんなエロいですから。
――結論はエロ(笑)。
 エロなんです(笑)。
――11月には主催フェスが開かれます。そこで何バンドかが出演してトリをかざったときに、どれくらいのエネルギーが出ているかということも意識されますよね。
 そういう目に見えない部分での勝負だと思っています。今回、出演してくれるのは、デビューからずっと同世代で頑張ってきたバンドたちというか。そういうバンドがほとんどですね。先輩も後輩もいますけど、ほとんどがずっと近い存在だったバンドです。
――主催フェスのテーマなどはあるのでしょうか?
 そういう重いものはない本当のフェスティバルで、自分達の20周年の締めくくりのための、みんながお祝いに来てくれて、今までACIDMANのことを知らなかった人にも来てもらって、シンプルで強いフェスティバルにしたいですね。
(取材=木村陽仁/撮影=冨田味我)
ACIDMANの大木伸夫
ACIDMANの大木伸夫
ACIDMANの大木伸夫
ACIDMANの大木伸夫。彼らの音楽はエネルギーがあり、深みと遊び心を兼ね備えている(撮影・冨田味我)

作品情報

ミレニアム
2017.7.26 Release
TYCT-39059 1,200円(+tax)
初回限定 紙ジャケット仕様
M1.ミレニアム
M2. Seesaw
M3. 青の発明 −instrumental
M4. Live Track From 20141023 Zepp Tokyo(『世界が終わる夜』リリース記念プレミアム・ワンマンライヴ) アイソトープ/赤橙/type-A

ライブ情報

ACIDMAN presents「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”」
(略称・SAI)
2017年11月23日(木・祝)
さいたまスーパーアリーナ(埼玉県さいたま市中央区新都心8)
開場10:00 開演11:00 終演予定21:00
主催 ACIDMAN/FREESTAR/SOGO TOKYO
企画制作 SAITAMA ROCK FESTIVAL“SAI”実行委員会
運営 SOGO TOKYO
協力 さいたまスーパーアリーナ/UNIVERSAL MUSIC/Virgin Music
※イベント名”SAI”は『埼玉県の”埼(さい)”』,『祭りの”祭(さい)”』,『才能の”才(さい)”』,『ACIDMAN楽曲タイトルにもなっている【彩-SAI-前編/後編】の”彩(さい)”』,などからイメージ。
ACIDMAN presents 「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”」第一弾出演アーティスト
and more,,,(50音順)

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