それでも世界が続くなら 篠塚将行×
CLUB Que shimokitazawa 二位徳裕
- the Homeground 第1回 -

L→R 菅澤智史(Gu)、琢磨章悟(Ba)、栗原則雄(Dr)、篠塚将行(Vo&Gu)

L→R 菅澤智史(Gu)、琢磨章悟(Ba)、栗原則雄(Dr)、篠塚将行(Vo&Gu)

それでも世界が続くなら プロフィール

ソレデモセカイガツヅクナラ:2011年結成、千葉県出身のロックバンド。対バンを含め、数多くのライヴ活動を行ないながら、12年2月に1stアルバム『彼女の歌はきっと死なない』をタワーレコード限定でリリース(2014年1月に一般流通で再発)。同作はタワーレコードのインディーズ・チャートで1位を獲得し、オリコンのインディーズ・チャートでも6位を記録。メディア露出が皆無に等しい状況下、口コミやネットで話題が広まり、じわじわとセールスを伸ばす。同年9月に2ndアルバム『この世界を僕は許さない』を発表すると、オリコン・ウィークリーチャートで88位にランクインし、全国のCDショップ店員やコアな音楽ユーザーにその名が知れわたる。イジメや虐待、家庭環境や病気などを題材にしたメッセージ性の強い逆説的な歌詞が多く、グランジやシューゲイザー色の強いノイズギターを合わせた変則オルタナティヴサウンドも印象的で、コアなリスナーからの熱烈な支持を得ている。13年9月にメジャー1stアルバム『僕は君に武器を渡したい』をリリースし、14年1月に1stミニアルバム『明日は君に会いに行くから』を発表する頃には、その知名度はいよいよ全国区に。23年より自主レーベル・YouSpicaを設立し、5月にアルバム『死にたい彼女と流星群』をリリースする。それでも世界が続くなら オフィシャルHP

GUEST:篠塚将行

Queの魅力はライヴと音楽に真剣な“人

どのようなきっかけからバンドを始めたのでしょうか?

僕が高校の時からの同級生でやっていたバンドがあったんですけど、卒業して何年か経った時にそのドラムがリハーサル中に心不全で倒れてしまって。それをきっかけに、もともと僕も人前に出るのは苦手だったし、誘われて始めただけのバンドだったし…友達が倒れてまでやることかよと思ってバンドを解散したんです。でも、長いことバンドだけをやっていたのでバンドがなくなった途端、一気に無気力に拍車がかかっちゃって。これじゃダメだと思ったのでライヴを観に代々木のZher the ZOOっていうライヴハウスになんとなく行ったら、中に入れなかったんですよ。そこで“あぁ、俺なんかいなくてもライヴハウスは回っていて、俺なんかいなくても音楽は生まれ続けるんだな”って思ったんです。当たり前なんですけどね。そこで、当時お世話になっていた元BAD MUSICの佐藤さんという方の“しのくんは音楽がやりたいの? それともバンドがやりたいの?”っていう質問が浮かんだんです。その時は“分かりません”って言ったんだけど、例え俺が死んでもこの世界は俺には無関心で、何もなかったみたいに続いていくんだろうなって。“それでも世界が続くなら、もう音楽はいいや。じゃあ何をやろうかな…やっぱりまだバンドでもやろうかな。ゆるく”っていう、そんな感じでした。なんとなく怒ってたんだと思います。まぁ多分、今でもです。

ライヴや楽曲へのこだわりを教えてください。また、その理由を教えてください。

たくさんあるんですけど、僕らのバンドの場合は簡単に言うと“純度を高くする”ってことですかね? “嘘をつかない”って言ってもいいんですけど。音楽は、基本的にエンターテインメントだと言っている人も多いじゃないですか。ある意味そうだと思うし、僕も高校の時くらいまでは漠然とそう思っていたんですけど、高校生で地元のライヴハウスに出るようになって自分でライヴをやってみて、ライヴハウスの人に“お前のステージは嘘くさい”って言われたんですよね。“お前の作り笑いは見え見えで、見ていてイライラする”と(笑)。それがすごくショックだったんです。夜も寝れなくなるくらいに。俺はいじめられっ子だったし、たぶん思ってるより不器用で、バンドも人前も本当は向いてないんだろうなと。じゃあもう全部嘘を付かなければ、誰かに嘘だって言われてもバカにされても、“本当だから”って心から言えるなら、 気にならないんじゃないかって。それからは今みたいにMCも基本的にしない、告知もしない、照明も使わない、本当にあったことを口語で歌にする、誰にも好かれようとしない…っていう感じの極端な発想になった気がします。嘘がないっていうのと純度を高くするっていう理由で、ライヴ中にその場で作曲したりもしますし、セットリストもライヴ中に変えたりもます。歌いたい歌を嘘なくその瞬間に歌うようにしてます。今ではメンバーも“セットリストは教えないでくれ”って言いますね。“ライヴ=生きる”かどうかは知りませんけど、 生きて生活することって予定調和がないじゃないですか。ライヴは生きてるのと同じというか、人生の中の一部というか。予定調和がまったくないってのは無理だとしても、予定調和は極力ないほうが音楽的だと僕は思ってます。極端かもですけど。

どのような時に、“音楽活動をしていて良かった”と感じますか?

バンドをやらなきゃ良かったなって思うことも、バンドをやって良かったなって思うこともたくさんありますよ。特に“バンドやって良かったな”というか、“ありがとう”と言うか、感謝で胸が苦しくなるのは僕らがライヴをして、ライヴが終わって、それでも客席に誰かがいてくれた時ですね。“こんな何もできない俺の幼稚な音楽なんかをこの人たちは最後まで真剣に聴いてくれて、俺の人生に付き合ってくれたのか…本当にありがとう”って思います。今でもそれは全然当たり前なんかじゃなくて、信じられないことです。ありがとう。

CLUB Que shimokitazawaの二位さんとの出会いはいつ頃でしたか?

僕がそれでも世界が続くならを組んだ直後にQueに出て、しばらくしてですかね。当時世話になっていたZher the ZOO YOYOGIのブッキングだった原さんがQueに移動して、深夜のQueのブッキングに誘われてからなので、Queに出演してからですね。

二位さんに対する第一印象を教えてください。

Queの二位店長って言ったら、“下北沢なんか音楽をやる街じゃない”って言われていた下北沢に音楽のシーンを作った人のひとりじゃないですか。もう、たぶんこの人に媚びたら俺の中のパンクやロックは死んでしまう、と(笑)。できるだけ話しかけないようにしていた覚えがあります。二位さんを振り向かせるくらいじゃないと…っていうか。そんな中で、別のバンドのライヴの時に話すきっかけがあって、そこで初めて二位さんとゆっくりお話しさせてもらった時に、“あぁ、この人はこんなに人間臭くて、気取らなくて、こんなにバンドに真剣すぎるくらい真剣な人だから、ここに音楽が集まってきたんだな”とはっきり分かって。俺は話したこともない二位さんを“下北沢ライヴハウスシーンの第一人者”という肩書きだけで避けてた、そんな自分が、すごく恥ずかしくなったんです。ただただ、人間と音楽が本気で好きな人間だから、こんなにたくさんのバンドや音楽に愛されているんだなと思いました。

逆に、二位さんからはどのような印象を持たれていたと思いますか?

考えたことなかったです(笑)。たぶんですけど、バンドマンっぽくなくて、辛気臭くて、面倒臭い奴、だと思われてたと思います。でも、二位さんは話したことのない人を理由もなく嫌うような人じゃないというか、人間が好きな人なので、たぶん嫌われてはいなかったと思います。

CLUB Que shimokitazawaでの初のライヴは?

深夜にやった、battaとのツーマンイベントです。

今までで一番印象に残っているCLUB Que shimokitazawaでのライヴは?

ほんとにたくさんあるんで、一番って難しいんですけど…すぐ浮かぶのは、Queの20周年にやった2デイズワンマンですね。うちのドラムのノリオ(栗原)がライヴ直前に右手を骨折していて。それでも2デイズで50曲を片手で叩き切った時は、楽屋で俺が泣いてしまいました。ノリオに呼応する感じで、ライヴ後に全員楽屋で倒れて立ち上がれなくなってて、僕にとってライヴをするってこういうことなんだ、と確信できた瞬間でした。それと2015年7月、Queのリニューアル初日にワンマンをやらせてもらったことです。リニューアルって、壊して作り直すわけじゃないですか。ライヴハウス育ちの雑草の僕らとしては、その“壊す”がショックで。ライヴが始まった瞬間に、“またライヴハウスが動いた”っていうあの感じが、自分がバンドを辞めて、失意の中からまたバンド を始めた時のことと重なって、客席にみんながいて、“まだ俺もQueも、バンドやれるんだ”って思って…歌う前から泣きそうになりました。忘れられないです。

二位さんをはじめ、CLUB Que shimokitazawaの魅力はどういうところだと思いますか?

ハコの鳴り(ライヴハウスの反響音)もすごくいいんですけど、店舗の魅力は“人”だと思います。ライヴと音楽に真剣なんです。どんな大手メーカーの撮影が入っても、ライヴを観に来た人の邪魔になると思えばはっきり言いますし、上辺の綺麗事や運営のための体裁じゃなく、純粋に音楽とライヴのことを真剣に考えていて。それを365日24時間やってる、純度の高い人たちが集まってるライヴハウスだと思います。これは余談ですが、片親だった僕の親代わりだったおばあちゃんのお葬式に電報と花を贈ってくれて、嬉しかったです。

ライヴで起きたトラブルなどがあれば教えてく ださい。

“生きる=ライヴ”っていうのと一緒で、トラブルも生きてりゃ当たり前というか、それっぽく言えば、トラブルもライヴの一部だと僕は思います。僕は平気で曲を止めてやり直したりもしますし、ベースの音が出ないなら、出ない間はギターでベース音弾きます。あんまりトラブルを気にしなくなりました。もう何がトラブルなのかが分かりません。そんな些細なことよりも、音に気持ちがちゃんと入ってるかどうか、音像がリアルかどうか、だと思っています。

CLUB Que shimokitazawaでの思い出の写真があれば紹介してください。

僕らが初めて東京でワンマンをやった時のQueでの写真がありました。これを見ると、またいつでもいいからどこかのライヴハウスでみんなに会えたら嬉しいと思ってしまいます。ちなみにステージの奥にいる仏頂面が僕で、なぜかマネージャーがメンバーっぽく写ってます。

最後に、二位さんにひと言お願いします。

僕は生きてるんで、またライヴしに行きますね。
それでも世界が続くなら@CLUB Que shimokitazawa

それでも世界が続くなら@CLUB Que shimokitazawa

OKMusic編集部

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