「純粋がいつも正しいとは限らない」10-FEET、祖母に歌った『アンテナラスト』が教えてくれることとは!?

「純粋がいつも正しいとは限らない」10-FEET、祖母に歌った『アンテナラスト』が教えてくれることとは!?

「純粋がいつも正しいとは限らない」
10-FEET、祖母に歌った『アンテナラ
スト』が教えてくれることとは!?

京都大作戦は毎年7月に京都府宇治市で行われている10-FEET主催のロック・フェスである。初開催の2007年は「つじあやの」や「湘南乃風」など、ロック以外からのアーティストも出演予定だったが、台風のため中止となってしまった。しかし、それ以降は毎年行われて、ジャンルを問わないアーティストの出演などで大きな盛り上がりを見せている。

魅力的なフェスの仕掛け人10-FEETの2016年の新曲「アンテナラスト」をご存知だろうか。アンテナラストというのは「錆びついたアンテナ」を意味する造語だ。

それは歳をとるごとに薄れ、経験を重ね世の中を知るにつれて錆びついてしまう純粋な感受性を指している。しかし、錆びついてしまうのは決して悪いことではなく、アンテナが錆びたからこそ気づく愛もあるのだ。

ボーカルのTAKUMAは身を以てそれを体験したようで、アンテナが錆びついたからこそ亡くなってしまった祖母の愛に気がついた。





彼は成長したからこそ、祖母も言葉足らずだったと気づいた。
「あなたに会わなくなってつまらぬ男になりました」というのは、祖母に会わなかったことへの後悔を綴った詞であり彼の錆びついていない純粋な部分が現れている。



子供の頃、母が仕事にいく際に祖母に預けられたというTAKUMA。
彼は仕事に行く母と遊べない虚しさから祖母に八つ当たりをしていたという。
それでも祖母は、ずっと側に居てくれて彼に愛情を注ぎ続けてくれたのだ。

錆びついていない純粋なアンテナは、時に人を傷つけることもある。「純粋」とはとても良いことであると思いがちだが、危険な一面も持ち合わせているとこの曲が教えてくれる。



ここでいう僕らとは誰を指し示すのか。
この僕らの中にはアンテナラストを聴いた人はもちろん、祖母も含まれている。

錆びついたアンテナはTAKUMAだけが持っているものではなく、祖母も同様に持っているのだ。
さらに言ってしまえば、私たちもそのアンテナを持ち合わせている。

「言葉足らずでなければ僕ら 届かないことを知らないから」という歌詞が錆びついたアンテナを持つと言葉足らずでも愛情に気づけると教えてくれる。前出の歌詞「言葉足らずのあなたの言葉 たくさんの思いがあったでしょう」を見れば分かるように、TAKUMAのアンテナが実際に錆びついたことによりその事実に気づいたのだ。

アンテナラストは祖母に向けられた歌ではあるが、同曲からたくさんの価値観を得られる。たった一人に向けられたアンテナは、たくさんの人にアンテナの使い方を教えてくれているようだ。

ライター名:笹谷創(http://sasaworks1990.hatenablog.com/

UtaTen

歌詞検索・音楽情報メディアUtaTen

新着