『LET FREEDOM RING』に尾崎裕哉の父と音楽観を見る

『LET FREEDOM RING』に尾崎裕哉の父と音楽観を見る

『LET FREEDOM RING』に尾崎裕哉の父
と音楽観を見る

その中で『サムデイ・スマイル』、『27』、『Stay by my Side』の3曲を紹介したい。『始まりの街』に関しては本作でリアレンジされているが、以前コラムを書いたのでそちらに譲ることとする。
尾崎裕哉から父・尾崎豊へのアンサーソング『始まりの街』


今年が父である尾崎豊没後25年目であり、彼の音楽性への影響、彼が音楽に出した答えがこの『LET FREEDOM RING』で表現されている。今回は、これら三曲を紹介しながら、父親との音楽性の違いとともに尾崎裕哉のシンガーソングライターとしての独自性を見ていきたい。





まずはEPの中でも疾走感のあるロックチューン『27』。
この27という数字は彼が本格的にデビューをした年齢を表している。デビュー時の年齢を曲のタイトルにするには大きな理由が存在している。これには父親である尾崎豊が関係していることは察しのいい人は気付いただろう。尾崎豊は26歳という若さで亡くなっていて、当時尾崎裕哉は2歳、父親のことはまったく覚えておらず知っているのは父親の音楽だけだという。彼は尊敬するミュージシャンとして父親を見ており、彼の楽曲には尾崎豊の代表曲『僕が僕であるために』というフレーズが入っている。

それが、このAメロにある「僕が僕であるために背負うことが多すぎた」である。
尾崎裕哉は20歳から5~6年の間中々歌詞を書くことが出来ない日々が続いていた。この裏にあるのは偉大なアーティストであり、父親でもある尾崎豊の存在である。彼はCINRAでのインタビューでその理由をこう答えている。
“たぶん、理想が高かったんだと思います。僕は尾崎豊の音楽を聴いて育ったので、ああいう物語を描写するような歌詞が正解で、「作品としての音楽」を求めていたんです。”
音楽に作品性を求めた結果、彼は壁に突き当たってしまった。尾崎豊の音楽は確かに作詞をしようと思ってすぐに書けるような詞ではない。尾崎豊の人生観があまりにも公明正大に表現されている。

歌詞にある「受け入れることも否定することも」という言葉にあるように彼が与えられた運命の享受を決定するのは自分自身だという。彼は常に自分自身と戦っていた。そう、尾崎豊が僕が僕であるために戦っていたのと同じように。



尾崎裕哉はこの『27』で、自問自答しながら“生まれた意味”を発見し、音楽の道へと進んでいくのだ。このように父親に対する葛藤や音楽への認識が表れた楽曲だと言える。尾崎裕哉による『僕が僕であるために』への答えがここにはある。彼の原点とも言える曲ではないだろうか。




次に、唯一ラブソングに分類されるであろう『Stay by my Side』。
今回紹介している三曲の中で唯一英語詞を取り入れている。帰国子女なだけあって英語の発音はさすがとしか言いようがない。尾崎豊の楽曲で例えるなら『OH MY LITTLE GIRL』や『I LOVE YOU』などが同様のラブソングに当たるだろう。




“When you're lone and down and out”のloneはaloneと比べると孤独や寂しさといった意味をより強く持っている言葉である。物理的なひとりである状態を表すというよりは、街の騒がしさの中にある静けさ=孤独感を連想させる。続いて、“down and out”は、「落ちぶれて、ノックダウンされて」といった意味。つまり、ここでは「あなたが孤独で落ちぶれたときはすべてを疑って心を閉ざしてしまう」という主旨になる。この英語詞の配置は意図して用いたものだと推測するが、その意図が見えない。言葉を強調しているわけではなさそうだが、詳細を本人に問うてみたい部分である。特に意味はないところの可能性も否定はできない。



「ひとは何のためにひとを愛してしまうの」という言葉からは哲学的な匂いがする。尾崎裕哉は「愛している」と無暗やたらと言葉にするのではなく、相手に対して「なぜひとを愛するのか?」、つまり「なぜ私たち二人は付き合っているんだろう?」という言葉を教えてくれないかと求めている。
“stay by my side”(私のそばにいて)で一緒にそれを探しに行こうよという前向きな歌である。そして、“All I wanted to say is「愛してる」”というフレーズは「愛している」以前の英語詞“All I wanted to say is”の部分が良い効果をもたらしている。“All I wanted to say is”で1拍置いてから「愛してる」と歌うことで「愛してる」の部分が巧く強調されていてとてもいい。
人を愛する理由はまだ見つからないけれど、言えることは愛しているという普遍的な言葉なのだ。改めて、「愛してる」というありきたりな言葉の力強さを感じた。


最後は、一曲目に収録されていて、MVの公開もされている『サムデイ・スマイル』である。この曲は尾崎裕哉が初めてラップを取り入れていて、意欲的な作品だと言える。最初は、尾崎豊の『ドーナツショップ』の語りを意識したそうだが、あまりにも尾崎豊っぽさが出てしまったためにラップという選択肢をとったとのこと。聴いてみると少し父親の面影が感じられるが、確かにオリジナル感は出ているように思う。




この曲が作られたきっかけとして、尾崎裕哉は全国ツアー「LET FREEDOM RING TOUR 2017」東京公演で東日本大震災の被災地に仲間とボランティアに行ったことを挙げていた。その言葉通り、この曲は背中を押してあげるような前向きな曲だ。どんなに困難に直面しても立ち止まらずに前を向いていこう、というメッセージが込められている。「あと何度」という印象的なフレーズは、8回も繰り返されている。楽曲全体では計16回も繰り返しが行われている。そのため、サビよりも印象的で頭から離れない。



ここは前述したラップの部分に当たる。東日本大震災が起きた最中、誰もがこれから先の明るい未来を想像することが出来ただろうか。津波による甚大な被害は勿論のこと、それ以外にもライフラインの壊滅、これらによって人々の「日常」は壊れてしまった。家族や親戚、友達の無事も分からない。このような状況の中で、先にある光を捉えることなど到底不可能である。尾崎裕哉は被災地に行くことで感じることが沢山あったと思う。そのエピソードとして非難所で遊んだ子供の話を彼はしていた。内容は、「避難所で一緒に遊んだ子供たちに『前を向いていこうよ』と言ってあげたかったけど、その場で言っても現実味もなかった。そんな思いを込めて、この曲を聴いた人に今日を生きていることの素晴らしさを感じてほしいと思って作りました」といったものである。東日本大震災の経験を踏まえ、彼は「音楽」にすることで世の中に届けることを決意したのだ。実際に、震災の被害を受けていなくとも、この曲を聴いた人が今を大切に生きることをこの曲は教えてくれる。



幸せに至るまでにはプロセスが存在していて、僕らはその途中だと彼は言う。だから来たる明日に備えて今日という日を大切に生きていこうというメッセージが込められている。僕らと複数形にしてあるのが、自分を含めた先ほど例に出した被災地の方々に寄り添って歌っているような印象を受け、尾崎裕哉の音楽観が表れていると感じた。

彼は「音楽を通じて世の中をよくしたい」と発言しており、このことが色濃く表れている楽曲が『サムデイ・スマイル』だと言えそうだ。私が感じた尾崎豊との決定的な違いは、歌うという行為の対象が内か外かである。尾崎豊は自分のために歌うというイメージがどうしても強い。勿論そうではない曲も多いことは知っている。一方で尾崎裕哉は歌うという行為が外に向けられている。『始まりの街』や『Stay by my Side』、『サムデイ・スマイル』などは他者に向けられた曲である。また、世の中のために歌うという発言がこのことを補っている。

尾崎裕哉と言えば、尾崎豊の息子というイメージを持たれやすく父親から受け継いだ声にばかり注目されがちである。しかし、彼の書く詞には尾崎裕哉の人生観が詰まっていて、それが彼の音楽に影響を与えている。世界の情勢が不安定な昨今、彼は何を思い何を歌うのだろうか。

UtaTen

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