フレンチポップの代表格・クレモンテ
ィーヌ、活動30年でみる変化
フランスの女性ジャズシンガーで、フレンチ・ポップの代表的な存在である、クレモンティーヌが3月22日に、デビュー30周年を記念した自身初のオールタイム・ベストアルバム『ALL TIME BEST』をリリースした。同作では、代表曲「ジェレミー」をはじめ「バカボン・メドレー」などアニメソングのカバー曲を収録。更に、フランス映画『男と女』主題歌「Un homme et une femme -男と女-」を、男性ボーカルグループのLE VELVETS(ル・ヴェルヴェッツ)と再録音に臨んだ。3月25日・26日にはブルーノート東京で、野宮真貴やLE VELVETS宮原浩暢をゲストに招いたライブを開催した。日本においては「渋谷系」を代表する野宮真貴や小沢健二などからもリスペクトを受けるクレモンティーヌ。MusicVoiceでは来日中の3月26日にインタビューを実施。同作を通じてこの30年を振り返ってもらうとともに、アニメソングのカバーなどにみる日仏の文化的相違点、更には世界的にみた音楽消費動向の変化について語ってもらった。
アニソンのカバー、納得するまでに1年
――25日のライブを終えて感触はいかがでしたか?
野宮真貴さんとは去年に引き続いて2回目の共演となりましたが、デュエットをしてとても楽しかったです。同じ頃にデビューをした仲の良い友達だし、やりやすいんです。ライブ自体は17年ぶりにサックスとフルートを入れてみましたが、新しい音になって楽しかったです。今回のミュージシャンは長い事一緒にやっている人達で、彼らはブルーノート東京が大好きなんです。
――凄く良い雰囲気の所ですよね。
たぶん世界で一番綺麗なジャズクラブだと思います。格式が高くて音も良いです。
――世界から見ても日本のライブハウスの音は良いでしょうか?
ええ。サウンドシステムも良いし、日本人は繊細な音を拾うのがとっても上手いですね。
――デビュー30周年を迎えられました。ここまで長く歌い続けていくと思っていましたか?
私もびっくりです(笑)。昔は考えていませんでしたね。色んな人達との出会いがあり、自然とです。気がついたら30年という感じです。よく「次はどんな人と仕事をしたいですか?」と聞かれるんですけど、そういう事は考えてこなかったんです。人との出会いだけを大事にしていたら、次々と色んなプロジェクトが進んでいった、という感じです。
――そうした中でオリジナルもカバーも様々やられてきたのですね。アニメソングのカバーもされていますが、カバーの話を受けた時はどういう心境でしたか?
最初は非常に危険だと思いました。世の中にはアニメのコアなファンの方々がいますよね? 私が歌うアニメソングと、彼らが思っているアニメソングとではイメージが違いますから、どうなるのかなと思っていました。でも、子供達に「絶対やった方が良いよ」と後押しされて。それであまり思い込まないようにしてやりました。でも自分の中で納得するまでは1年くらいかかりました。
――歌や曲というよりもアニメそのもののイメージがありますからね。
一番難しいのが歌詞の部分です。例えば「おどるポンポコリン」は歌詞にあまり意味が無いと言いますか…。フランスでは『ちびまるこちゃん』のアニメはやっていないので、世界観を理解できないんです。アニメの仕事の方はけっこう厳しくて、「きっちりやってくれ」と言われるんですけど、そのあたりに苦労しました。
2011年にリリースされた『続アニメンティーヌ』に収録されている「アンパンマンのマーチ」をカバーした時に、『アンパンマン』の作者である、やなせたかしさんは、フランス語が分かるので「ここは違うと思う」とか、けっこうやりとりがあって、イメージに近づくまでかなり時間がかかりました。皆さんそれぞれにアニメに対する思い入れがあるんです。
――アニソン歌詞は難しいですよね。例えば『天才バカボン』だったら「ボン」の部分はフランス語で使われる「ボン(bon)」に近いので響き的には合うのではないかと思いますが、「ポンポコリン」や「ピーヒャラ」などは難しかったですか。
そうなんです。あとは『新世紀エヴァンゲリオン』の「残酷な天使のテーゼ」も難しかったです。後は「戦隊モノ」も難しかったですね。
――発音的なところでしょうか?
ええ。文法上の違いもありますしね。それと「サザエさん・メドレー」も世界観が日本独自なものだったので難しかったです。<お魚くわえたドラ猫♪>という風景はなかなか…。
――確かにフランスでは想像できないですね。
一番やりやすいのはジブリです。様式美の楽曲が多いですし。
――今作にも収録されている、アニメ『天才バカボン』の「バカボン・メドレー」などは、最初聴いた時はびっくりなされたんじゃないかと。
あれはもう浪曲ですからね。
震災で「一瞬」への意識が高くなった
――言われてみればそうですね。今作には収録されていませんが、『バラエンティーヌ』に収録されていた「スーダラ節」などはどうでしたか?
あれは面白かったです。コンサートで歌うと皆歌ってくれるんです。東日本大震災があった翌4月、私は福島県浪江町に行って歌いました。石巻にも行きましたし。そこで、泣きながら「スーダラ節」を一緒に歌ってくれる人がいました。
石巻の復興祭に行った時は、一番前に座っていてくれた子達全員が、震災で親を亡くされて…、私も母親ですから…。その時に「一瞬」を大事にするという意識を高く持つようになりました。人生どうなるか分からない…。
ヨーロッパは地震が少ないから、初めて見る光景でした。人生について考えさせられました。出会った人達と良い時間を過ごしたいから、良いものを作っていきたいと強く思いました。
――書く歌詞も変わってきましたか?
もともと辛い事や政治的な歌詞は書かなのですが、「今を楽しみましょう」という歌詞を書く事が多くなりました。元気でポジティブで考えすぎないという事を、書く事が多くなりました。
――フランスでは確かに地震は少ないようですが、日本では滅多にないテロがあったり…。
そう。あなた方では地震、私達ではテロ、という感じです。だからパリから日本人がだいぶ減りましたよ。
――この間もライブハウスが狙われたりと。
友達の子供がそこで亡くなったんです。
――生と死は意外と身近にあるということを痛感させられます。
生きている事っていつまで続くか分からないです。フランスは地震がないから「何かあった時の教育」はないんです。でも今はテロがあるから日本では地震の時に机の下に隠れる教えがあるように、そういった事が義務教育で始まりました。テロのせいで今の子供達は自分達の時とは違う意識で生きているのだろうなと思います。
――ライブハウスがテロに狙われるとなると、その後はそこで歌いづらくなるものでしょうか? お客さんも減ってしまったり…。
そうですね。テロの直後は皆出かけないんです。街の雰囲気は違ってきますよね。あなたの隣の人がテロリストかもしれないじゃないですか? 5月には大統領選もあるし、ピリピリした雰囲気です。
ターニングポイントは3回
――今作は30周年のオールタイムベストです。キャリアを振り返ってみて、自身のターニングポイントはどこだと思いますか?
3回に分けてありました。1回目は「渋谷系」。小沢健二さんやピチカート・ファイヴ、田島貴男さんなどと共に、皆さんにとても支持してもらえたんです。その後に“カフェ・ブーム”があったじゃないですか? 東京中にたくさんカフェができた時に「カフェ・ミュージック」という感じでまた盛り上がりましたね。ジャンルで言ったらボサノヴァかな? そして「アニメ」です。これら3回のターニングポイントがありました。
――カフェ・ブームはいつごろでしたか?
1990年代末から2001、2002年頃ですかね。ブラジルに行ってレコードを作るという事が多かったです。日本人はボサノヴァが好きですよね? 色んな所でボサノヴァがかかっていたり、フレンチ・ボサノバというカテゴライズをされたりするんですよね。
――フランスの音楽はボサノヴァと相性が良いという印象があります。
フランスにもボサノヴァを歌う人はたくさんいるんですが、日本みたいに一世風靡したという事はないんです。
――ボサノヴァはフランスに馴染みがあると思っていました。
ブラジル人がたくさん移民として来ていますからね。
――フランス語は語感的にボサノヴァと相性が良さそうですね。
そうですよね。同じラテン語ですしね。
――ブラジルには歴史的背景から日系人が多くいます。そうした繋がりからも「日本人のボサノヴァ好き」の要素があるのかもしれませんね。
それはあるかもしれないですね。小野リサさんのように、向こうで育ってボサノヴァ音楽をやっているという方もいますしね。
――ボサノヴァと相まって、クレモンティーヌさんの歌声はとても落ち着く音楽です。寝る前には子守唄になるようなリラックス効果がある楽曲もあります。
ありがとうございます。ラウンジ・ミュージックという捉え方をしてもらえるのは凄く嬉しいです。
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