広島人だからこそ伝えられるものが、
HIPPY 新譜に込めた郷土愛
広島県出身で在住のシンガーソングライター・HIPPY(ヒッピー)が3月29日に、通算2枚目となるフルアルバム『HomeBase ~ありがとう~』をリリースした。2011年に、10年続けてきたロックバンド・maegashiraが解散し、ソロ活動を開始。2015年にミニアルバム『I’m HIPPY』でメジャーデビュー。並行してYouTubeでウェブ番組『ひぴ動』を展開するなどユーチューバーとしても活躍。ソウルフルな歌声に、ユニークなキャラクターで人気を集める。今作は、前作『幸カロリー 〜意識の高いデブ〜』を広島で2000枚を売るという公約を成し遂げて制作。楽曲と歌詞は地元愛にあふれ、曲順では、四季折々の変化を表現した。広島人だからこそ伝えられるものもある。今作に込められた想いとは。
HIPPYの始まり
――「HIPPY」というお名前の由来は?
あだ名です。大学時代からですね。僕は石川という名前なので基本は、「石川さん」と呼ばれていたんですけど、キャッチーなものが良いなと思っていたところに、大学時代の仲間の女子に「HIPPY」と名付けてもらったんです。
――確かにキャッチーですね。音楽を始めたきっかけは?
7歳の頃にピアノをやらされていたんです。ピアノも練習も本当は好きではなかったので、9年間やったわりには、といった上達のレベルでした。今となってはちゃんとやっておけば良かったなと思いますけど。音楽自体は好きだという気持ちは生まれていたんです。
ただ、それ以上に野球が大好きで、同時進行で野球をやっていて。高校の時も「甲子園へ行くぞ」という感じで頑張っていたんですけど、1年生の終わりの頃に挫折してしまって辞めちゃったんです。
野球は辞めたんですけど、“部活熱”は冷めなくて、どうしようかという事になって。僕が通っていた学校は野球にも力を入れていたんですけど、合唱部も強かったんです。そこで合唱部に入って本格的に歌うようになったんです。
――当時から歌が好きだった?
中学校の頃もカラオケに行ったりして、歌は好きな方でした。高校の合唱部では全国大会にもいきました。大学ではライブハウスにハマって、大学三年生の頃には自分でステージに立ちたいと思うようになって。そのライブハウスで出会った仲間とバンドを組んだんです。
――それがmaegashira?
そうです。そのバンドを10年くらいやりました。
――maegashiraはロック系のバンドでしたよね?
そうですね。ざっくり言うとメロコア系とかそういった感じで言われます。
――ライブハウスにハマっていた時はロックに惹かれていた?
もう、そうですね。初めてライブを観たのがeastern youthさんのステージで。そこから始まって、広島に来るロック系のライブはほぼ観に行っていた感じです。バイト代は全部ライブ代に消えました。
ライブハウスに行くと、良く会う人がいるんです。そういう人達とバンドを組んでmaegashiraは10年くらいやったんです。解散してしまったけど、「10年やって食えていなければ辞めよう」というふんわりした事を決めていたんです。それで、10年やった時に「食えないけど、あと1年やって終わろうぜ」という事で、11年やって終えたんです。そして、僕はソロで歌を続けたいと。
――ソロになって音楽性はがらりと変わりましたね。
僕が歌を習いに行っていた時に、先生がClub系の方で「Clubで歌ってみないか?」と言われたんです。そこでDJスタイルでやるという事を知ったんです。それが今のスタイルに変化していくきっかけでした。
――そうなるとロックバンドのmaegashiraの頃とは歌い方も違ってくる?
僕の中ではあまり変わっていない気もするんですけど、maegashiraのCDを改めて聴くと「全然違うな」と思いますね。maegashiraは2人で歌っていたという事もありますし。もう一人はわりと甲高い雰囲気の声で歌っていましたし。
――maegashiraはツインボーカルでしたね。
そうですね。自分は低いパートを担えば良いと思っていたんですけど、ソロになると全体的なバランスを考えるようになったんです。表現の仕方を考えたりするし、「1曲歌うのって大変なんだな」というのを感じました(笑)。
曲の作り方も、ツインボーカルの時は、ブレス関係なく歌を被せるようなメロディを考えるので、ソロを初めてやる時に曲を作ったら、全然ブレスの箇所を入れずに作ってしまって…。いざライブで歌うと「なんという曲を作ったんだ」と思ったりするんです(笑)。レコーディングでは歌えたけど、ライブではキツいなと。
公約があった方が楽しめる
――メジャーデビューが決まった経緯は?
メジャーデビューを知った瞬間は2014年の年末でした。広島でTV番組をやらせてもらっているんですけど、その番組のドッキリ企画として僕がメジャーデビューという事を知らされたんです。
――ドッキリ企画だったんですか?
2015年は僕の中でテーマを課してしたんです。音楽をやり初めて15年くらいが経つ年だったので、「あまり結果が出ていなかったらここで身を引こうかな」という事をTV番組の方々にも相談していたんです。そうしたら、スタッフの方々が「あいつをビビらせて泣かせてやろう」という感じになったみたいなんです。まんまとやられましたね。でも凄く嬉しかったです。
――メジャーデビューという、本当にドッキリ企画だったんですね。
そうなんです。その前にレコード会社の人に見てもらうライブがあって、僕はその時もの凄く緊張して歌っていたんですけど、その時にはもう既に決まっていた事だったんです。当時を思い出すと照れちゃいますね。
――そこからレコーディングやMV撮影と忙しくなった?
そこから色んなご縁を頂きました。もともとYouTubeのチャンネルをやっていたんですけど、メジャーデビューをする事で凄く広がったんです。また、僕がメジャーデビューをする事で、広島のメディアが凄く取りあげてくれたんです。長い事やってきて良かったという事と、周りの人に恩返しをしないといけないなと日々感じています。
――そういった流れでの『HomeBase ~ありがとう~』というアルバムタイトルなんですね。
もう本当にそうですね。
――テーマ自体は前から決まっていたのでしょうか?
前作のミニアルバム『幸カロリー 〜意識の高いデブ〜』が「地元広島で2000枚完売しよう」という企画があって、それを経て今回のリリースになっているんです。まさに僕の根本であり、“ホームベース"の広島に対する“ありがとう”という気持ちです。地元に対してとか、母ちゃんだったりとか、近くにいる友達に対して、改めて「かけがえのないものなんだ」という事を表現しているので、聴いて感じてみて欲しいです。
――2000枚完売というのは公約のような感じで、出来なかったら次作は無いというような、流れだったのですか?
そうですね。そういうのが自分には合っているのかなと思うところもありました。去年の夏に「日本一のバンジージャンプをしよう」というYouTubeの番組の企画をやったんですけど、僕はその時の体重が118kgくらいあって、体重制限があるので、バンジージャンプをやる日までに13kg痩せなければいけない。結果、ちゃんと痩せたんですけど、しっかりリバウンドで戻って(笑)。公約があった方が僕は楽しめるんです。
2000枚完売企画も、広島の各地でストリートライブをやって、「ここでもやってよ」というお誘いを頂いたんです。お寺の住職から「お寺でやってくれ」と言われて行ったら、お寺の周りにいるおじいちゃん、おばあちゃんが集まっていて。そのなかでライブをやったりもしました。
――そういった活動の中で2000枚完売を達成したのですね。
直に手や顔に触れながら2000枚を届ける事ができたので凄く嬉しかったですね。
19「紙飛行機」とかかっている
――今作のリードトラック「きんさいや」はMV撮影もおこなわれたようですが、どのような仕上がりになっていますか。(取材時にはまだ完成していない)
もう撮り終わっていて、間もなくアップされます。「きんさいや」のMVは全部広島で撮りました。宮島や原爆ドームとか、“ザ・広島”という場所で全てのロケをしました。コール&レスポンスをするシーンでは広島カープやサンフレッチェ広島、広島ドラゴンフライズ(バスケットチーム)の選手など、広島にまつわる方々の参加、ご協力を得たんです。
――豪華メンバーですね。
そうなんです。広島色満載のMVとなっているんです。
――他に広島名物なども織り交ぜたり?
揚げ紅葉まんじゅうを食べていますね! 広島の宮島にしか売ってないんです。それを僕が食べていたのがオフショットに使われています。
――そういえばYouTubeでは食べている動画も多いですよね。
YouTubeでの再生回数が“こうやったら増える”というのが分かってきたんです。「大食い」は再生回数が増えます(笑)。
――「きんさいや」というのは「きなさい」というニュアンス?
そうです。わりと命令形ですね。でも広島独特の言い方で、凄く優しい言い回しです。「こっちにおいで」「来ても大丈夫よ」という感じで。「頼りんさい」というフレーズもあるんですけど、これは「頼っても大丈夫よ」「頼ってよ」という感じです。一応、命令形ではあるんですけど、優しさが含まれています。
――柔らかい感じなんですね。歌詞だと<こっちにきんちゃい>となっていますね。
“ちゃい”バージョンもあるんですよね。「宿題しときんちゃいよ」とか。
――それこそ、お母さんが言う様な感じ?
「はよ帰りんさい!」とかね。
――広島弁というと「〜じゃけえ」という方が馴染みはあるのですが、柔らかい広島弁もいいですね。
確かに「〜じゃけえ」は広島のイメージがあるでしょうね。広島人は「きんさいや」は凄く使うワードなんです。「〜じゃけえ」に次ぐこの「きんさいや」のニュアンスを是非、知ってもらいたいです。
――作詞作曲はTEEさんとの連名ですが、作り方はどのようにおこなっていったのでしょうか?
広島市の景色が一望できる三滝山が良いと言う事になって、最初の景色のイメージは一致したんです。そこから歌詞を書き始めていって、TEEがそこから書くんだったら、自分は「戦争から立ち上がっていく広島を書かせて」という事で、それが1番と2番になって、それらをお互いに見せ合って「これ、こういう表現が良いんじゃない」とお互いに擦り合せていったんです。
――歌詞に注目してほしい表現などありますか。
実は最初ちょっと仕掛けがあって、<子供の頃からよくみていた空、紙飛行機に夢を描いたあの歌の様に>の“紙飛行機”というのが、19(ジューク)さんの楽曲「紙飛行機」とかかっているんです。ちょうど僕らが中高生の頃に、「紙飛行機」がヒットしていた時期で、「僕らもあんな風になりたいな」と広島で夢を描いていた時期のことを書いているんです。ちょっとしたダブル・ミーニング(編注=2つ以上の解釈が可能なこと)になっています。
――色んな思いが入っているんですね。
やっぱり僕らの世代って、同じ広島出身の19さんが売れて、シンデレラボーイのような生き方というのは見ていてワクワクしていたんです。僕とTEEも同年代なので。広島の若者にも夢を描いて欲しいという思いも込めました。
被爆体験の伝承者
――先ほど、戦争の事も書かれたとの事でしたが、<荒れ果てたこの地に>というのは、原爆に晒された地のイメージなのでしょうか?
そのイメージはあります。広島にいる以上、そこは描きたいと思うんです。絶対に復活しない土地と言われていたのが、今や素晴らしい街並になっているので、ここまで作り上げて下さった先輩方へのリスペクトを込めています。
僕は今、被爆伝承者というのをやっています。実際に被爆をした方々は歳をとって亡くなられている中で、生の声を聞ける機会が少ないんです。僕はその生の声を10年前くらいから聞いてためて、それを伝えていくというボランティアをしています。それを描きたいという事もありました。いずれ平和を歌う曲も視野に入れてこのフレーズを入れたんです。
――歌というのはラブ&ピースな部分が多分にあると思います。現地で被爆をした人達の話を聞いて発信するという事は、これからも続けていただきたいです。
そうですね。生の声が無くなってきている中で、それを聞く最後の世代という感じになってくると思うんです。僕が死ぬ時も、生の声を聞いた人が亡くなっていくという事になると思うので、絶対に僕の下の世代に生の声を伝えていかないといけないと思っています。
――そういった復興、希望といった事から19さんの事なども含めて、とても幅広い内容の楽曲なのですね。
それを「深くなり過ぎず」「明るくなり過ぎず」ですね。広島の街って朗らかに時間がゆっくりながれているんです。そういった事を表したBPM(編注=テンポ)とか曲の雰囲気とかも広島っぽいなと思っているんです。
――この曲はいつ頃作られたのでしょうか?
2〜3年前くらいです。イメージ的に、最初は野球の応援とかそういった感じで書いていたんですけど、この形になるまでには4回くらいの経過があったんです。その中で、自分が出来る最大限の応援の形で表現しようという事になったんです。歌のスキルとか音程とか、出し惜しみなく、ライブでも1曲ギリギリできる様なものを作ってみようと思い制作しました。
曲順は四季折々の変化を表現
――バラエティに富んでいるので、曲順は難しかったのではないかと思いました。
それは考えました。四季折々の変化を表現したつもりです。「君に捧げる応援歌」を4月と考えると、“新生活を迎えるあなたに”という感じでもとれますね。1曲目の「花言葉」は特に思い入れがあります。
――「花言葉」の作詞作曲がウエザトヒロシさんという方ですが、どの様な経緯で楽曲を制作していただいたのでしょうか?
僕が11年間バンド活動をやってきた中で、一緒にツアーを回っていたHalf-Lifeというバンドのウエザトヒロシさんが、バンドを解散してソロになっていく僕に、プレゼントしてくれた曲なんです。歌詞やメロディが「お前、本当にそんな覚悟あるのか?」という内容だったので、僕がソロになってからずっとこの曲を歌っているんです。この曲を出せるタイミングをずっと待っていたという感じです。
――ソロの当初から思い入れがある曲が満を持して発表されたのですね。四季折々の変化という12曲というのはカレンダーの様な変化も味わえますね。
もう本当に4曲目からはカレンダーですよ! 5曲目は「かあさんへ」で、5月の母の日がありますからね。
――「かあさんへ」という曲は、面と向かって、なかなか照れくさくて言い辛いことを歌詞にしたという印象があり、すごく良い楽曲だと思いました。この歌詞を書くにあたってのエピソードは?
僕はピアノとか他の習い事なんかも適当だったんですけど、母さんが僕に凄くお金をかけてくれているという事もそうだし、やっぱり尊敬する事ばかりなんです。でも、会えばどうしてもケンカをしちゃうし…。そういう母さんの昔の事を思い出すと、言いにくい事は自分の得意な歌で改めて表現しようと思ったんです。
――この曲はお母さんに聴いてもらいましたか?
いや、まだ聴かせていません。どんな反応するんでしょうね…。それを聴いている母さんは見られないですね。照れちゃって。
――そういった思いを歌で伝えるという事は素晴らしいですね。ちなみに資料にはタイトルに「おかん」とも書いてあるのですがこれは?
実は仮タイトルが「おかん」だったんです。でも、後から考えると自分は母さんと呼んでいることの方が多いなと思って、「かあさんへ」に変えたんです。
――10曲目は10月の“食欲の秋”という事で「意識の高いデブ」を?
そうなんですよ。11曲目は11月の秋の名月を見ながら「今夜も君を」と。
――ちなみに12曲目の「ウィルキンソン」は?
これは炭酸水から取ったんです。亡くなった友達に対して送った曲なんです。悲しくて何もやる気起こらなかった時に、ずっとその炭酸水をただボーって眺めていたんです。ウィルキンソンの炭酸を眺めていて「この泡も儚いな」みたいな感じで。その時の気持ちがこの曲になっているんです。
――歌詞は切なさ溢れていますが、「ウィルキンソン」というタイトルだけ読むと、内容が全く想像出来ませんでした。「まさか炭酸水のじゃないよね?」と思っていたのですが。
まさかの炭酸水なんですよね(笑)。
――「HITSUJI」はJazzin'parkさんの作詞作曲ですね。
ふかふかと仲睦まじくベッドの中で眠るというイメージをポップに歌いました。
――そういったイメージを伝えてから楽曲を依頼したのでしょうか?
曲をもらって、何度も歌ってみて自分なりの解釈でやって、レコーディングの時にお互いの解釈が混じり合う瞬間でした。ブリッジのラップの部分なんかは最初全然イメージが出来なかったんですけど、やってみたら自分っぽく出来たので、チャレンジして良かったと思っています。
――ちなみにラップと歌ではどちらが得意?
メロディを歌う方が得意ですかね…。
――というのも、リズム感が凄いなと思ったんです。「ポップンラブリー」を聴いた時に、躍動感が素晴らしかったです。
自分の中では、いつもリズムの拍の少し後ろにあたる様な、歌い方をしているイメージがあるんです。「ポップンラブリー」のエンディング部分は、自分のノリが少し後乗りだからこそ、ちょっと早めに出して軽快さを出してみようかなと、自分なりにコントロールしているつもりなのですが、それがうまくいった様で嬉しいですね。
高校1年生の時にカラオケ大会で優勝
――歌は天性の部分が大きいと感じるんです。ご自身が「歌うまいかも」と思った瞬間はありましたか?
あるんですよ! 高校1年生の文化祭でした。1500人から2000人はいるモンスター高校で、そこの文化祭でカラオケ大会があったんです。それで僕が優勝しちゃったんです。「あれ? 俺、歌上手いわ!」と、そこで初めて思いました(笑)。
――その時からプロという道も考え出した?
そうですね。とにかく歌う事が好きになっちゃいましたね。
――そこからユーチューバーとして活躍もするとは思っていなかった?
最初は「歌ってみた」とか、正に「カラオケで何点が採れるか」という動画から始まっているんですけど、こんなにも色んな広がりが生まれるとは思っていなかったです。
――やはりYouTubeやSNSなどの活動もすると広がり方が違いますか?
YouTubeで知ってくれるという方々も増えてきています。
――財部亮治さんとABTVnetworkさんが参加している「ひろいしま」はその繋がりですよね?
はい。ABTVnetworkとは僕のデビュー作の「I'm HIPPY」の時に初めて絡ませて頂いたんです。
――歌詞もYouTubeの歌になっていますね。
そうですね。財部亮治君も、動画を見て彼の事をかっこいいなと思っていたんです。
――歌に感銘を受けた?
そうですし、ユーチューバーと言われるカテゴリーの中で、YouTubeの会合をするパーティがあるんですけど、そこに行ったりして色んな方と知り合えたし、財部君とも出会える事ができたんです。
――こういったコラボはこれからもやっていきたい?
やっていきたいですね。自分達が想像を絶する繋がりが出来ますからね。錚々たる面子に対して恐怖におののいているくらいです。スター選手ばっかり出てきちゃったり、YouTubeをやっているお笑い芸人の方とか出ているので、「YouTubeって素敵やん!」って思ってもらえたら嬉しいですね。
――全世界に発信していますからね。
まさに、地球がひとつの広い島として捉えたような。僕はもう“広島から繋がる広い島”という事で。
――素敵なダブル・ミーニングですよね。そういうのは他にもあったり?
「今夜も君を」の<今夜も月が綺麗だね>という歌詞ですね。夏目漱石的なアイラブユーが、「月が綺麗だね」という感じなんです。最後に「好きです」と言いたいけど言えないニュアンスです。
――照れ隠し的な?
そうです。
――最後に読者に向けてメッセージをお願いします。
前作の2000枚企画を経てこのアルバムに辿り着けているんですけど、地元広島に対する思いを書いているので、聴いて下さる方それぞれの地元や家族、仲間に対しての贈り物になってくれたら嬉しいです。改めて大事なものを感じてもらえたらいいなと思っています。
そういう気持ちを大好きな音楽の色んなアプローチで表現しているので、自分的に一番カッコいいものだったり、一番良い歌い上げ方をしているので、そこで「HIPPYいい歌い手やん!」と感じてもらえたら嬉しいです。楽曲で皆を応援したいと思っているので、ライブで会いに来てやって下さい。会いに来られない時は、是非、毎週水曜日にアップされるYouTubeの『ひぴ動』を観て下さい。どこかでお会いしましょう!
(取材・撮影=村上順一)
作品情報
HIPPY 2nd Album「HomeBase ~ありがとう~」 2017年3月29日発売 CRCP-40502/3241円+税 全12曲収録 ▽収録内容 DISC2(DVD)全5曲 |
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