悲しみを和らげたい、ACIDMAN大木伸
夫の真意 人の根幹にある孤独

インタビューでACIDMAN大木伸夫の真意に触れた。人の根幹にある「孤独」とどう向き合うか

 3人組ロックバンドのACIDMANが今年、結成20周年、メジャー15周年を迎える。11月23日にさいたまスーパーアリーナで開く主催フェス『SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』へ向けて現在はツーマンツアー中。そうしたなか1月にはZepp Tokyoでワンマンライブを開催。ファン投票によるベストセレクションアルバム『Your Song』収録曲や、祖母の死がきっかけとなり制作された新曲「愛を両手に」(2月8日リリースのシングル)などを歌い届けた。ファン投票で選ばれた楽曲の多くはバラード。フロントマンの大木伸夫(Vo&G)はこのライブで、バラードへの強い想いを明かすとともに、“生きる”ことへの価値観に触れ「音楽はジャンルではなく思想。それを伝えていきたい」というメッセージを届けた。その真意は「人の悲しみを少しでも和らげたい」というものだった。人の根幹には「孤独」があるとも語った。活動20年を経て見えてきた考えとは何か、そして、それをどう音楽に転化させているのか、話を聞いた。

祖母が与えた新曲

――シングル「愛を両手に」の表題曲は、御祖母が亡くなられた思いを書いた曲と聞きました。自然とメロディーが浮かんできましたか?

 はい。元のサビのメロディー以外はずっと前から作っていて。ギターと歌で歌っていました。でもサビがうまくまとまらなくて。そういう時に、ばあちゃんが入院して。危篤状態になって意思疎通ができなくなった瞬間に終わったというか…そういう想いになって。身体は生きているけど、コミュニケーションはもうとれていない。悲しいけど、この時がサヨナラなのかと。悲しみと共にメロディーと言葉が帰りの車のなかでこみ上げてきて、そうしたなかでサビができました。

――導入部ではギターをピックでなく指で弾いていますね。

 そっちの方が、気持ちが乗るんですよね。自分が単純に好きだというのはあります。よく使う手法ですし。ジャーンと弾くことは物を一つ投げている感覚で、指弾きの場合も同じですが、感覚的にポンポンと一個ずつ置いている作業に近いです。

――一定のリズムで鳴っている、指で弦を弾く音は心音をイメージされた?

 心臓の音ではないですね。足音に近いのかもしれないですね。そっと歩いているような感じです。

――ゆったりとしたメロディーのなかにストリングスの音が柔らかみをもって言葉を繋いでいます。テンポがゆったりしている分、言葉と言葉の間に「間」が生じますよね。その間に入れるメロディーや音にもこだわりが?

 僕は特にそこの部分を大事にしています。ストリングス以外の事でも、ドラムの音だったり、ギターの音だったり、ベースの音だったり、全てのことに関してそういう「場」の使い方を大事に意識しています。

悲しみを少しでも楽にさせたい言葉

ACIDMAN「愛を両手に」

――ACIDMANさんの歌詞は、分かりやすい言葉を敢えて使っているように感じます。言葉は自分のなかである程度、ストックしていないと出てこないと思いますが、普段はどのようにインプットされていますか?

 僕はよく本を読みます。ストックしている感覚はないけれど、本や映画からは感動が得られるんです。実はあんまり音楽からは感動を得ないタイプで。それは同業者だからちょっとした嫉妬みたいなものもあって負のエネルギーが働いているからなのかもしれない。それよりも映画などで純粋に感動した場合、それを一言でなんとか表そうとはしています。そういうのでいつも言葉とは毎度、戦ってはいます。

――限られた文字数の中で言葉をチョイスするのは難しいですよね。

 難しいですね、一番難しい作業ですね。

――メロディーにもハメていかないといけない。

 メロディーにハメる作業が一番、難しいです。言いたいことは今まで出してきた140曲ぐらいの中でも一つしかないですけど。それをメロディーに変えたり、メロディーに沿ったり、バックの雰囲気に合わせたりしていくなかで、言いたいことを言うのがちょっと難しいなとも思います。

――その中で難しい言葉は敢えて使わない?

 昔はずっと難しい言葉を使っていました。今はなるべく使わないようにしていますね。

――それは伝わりやすいように?

 そうですね、伝わりやすいように。でもまだ難しい言葉も使ってはいます。ダダイズム(編注=1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動)みたいなちょっと不思議で無意味なものも、シュールなアート感覚も好きなので。そういう世界観も追及しています。ただ、こういうバラードや、伝えたいことが明確にあるときにはなるべく小学生でも分かるような言葉をなるべく使いたいという想いはあります。

――同じ意味でも難しい言葉の方が格好良く聞こえたり、説得力が増すことがあります。それをやめて分かりやすい言葉で伝えることは勇気がいることだと思いますが、分かりやすい言葉を使えるようになった背景は?

 それは経験だと思います。もちろん20年前はそんな恥ずかしことはやりたくないと思っていたし、むしろバラードは歌いたくないとも思っていました。とにかく格好をつけてナンボだと思っていたので。でも段々とこう時を重ねて、お陰様で今も音楽で飯を食べさせてもらっているなかで、やっぱり何の為に音楽をやっているんだろうという自問自答はこの20年、毎日のように繰り返しているわけで。そうなったときに、ただの芸術性、アート性だけを追求するのではなくて、人に何かを伝えるか、そしてその人にどう感動してもらうか。最終的には涙を流してもらう。そういうところに行き着いています。だから今は恥ずかしいという想いは全くないです。

――20年やってこられて「音楽とはこういうことだ」という明確になったものは?

 まだまだです。もしかしたら永遠にないと思うんですけど、今の段階で僕は、聴いてくれる皆の人の悲しみを少しでも楽にさせてあげることが役割だなと。

――そのなかで「愛を両手に」は泣いてもらう曲ですね。

 そうですね。この曲に関しては泣いてもらうというのが一番大事だと思っています。悲しみをこらえて、涙を我慢する美徳というのももちろんあるけれど、そういうのではなくて。人は「悲しけりゃ泣いたっていいじゃん。嬉しい時は喜んでいいじゃん、怒るときは怒っていいしっていうものが、ここにはあるかなと。

――カップリングに収録されている「snow light」と「水の夜に」はどういった曲になりましたか。

 単純に、詞で、言葉で繋げているなら「真っ白に染まれ」という雪が降りそそいでこの2曲目が終わって、今度はしんしんと雪が降っている様なイメージです。雪明りで目をくらましている主人公がいて。その雪が結晶を溶かしてだんだん水になって、水の中で自分たちが「結局我々は水なんだ」と気づいて。水に溶けていくというループの歌ですね。

ファン投票は真意が伝わっている表れ

ACIDMAN 20th Anniversary Fans’ Best Selection Album “Your Song”

――ところで昨年発売された、ファン投票によるベスト『Your Song』は一つひとつの音がとても繊細で。その感覚で先日のワンマンを観覧したら今度はエモーショナルな部分が加わって、また違った曲の趣になっていました。大木さんはあのライブで思いを発信していましたが、バラードや曲の世界観をファンの方はどこまで認識されているのかも気になりました。

 今回のベストはファン皆の投票によって決まったものなので、その曲にかなりバラードが多かったという時点で、自分の作るバラードや死生観を描いたものが受け入れられていることが凄く伝わりました。その時のワンマンでも思いましたし、ああいう世界観をちゃんと感じてくれている、真っすぐに受け止めてくれているというのは感じました。単純にランキングの中には100余曲もあるなかで、上位20位の中にそういう曲が入る段階で、皆そういう曲を好きでいてくれているんだなというのが分かりました。

――そのライブでは、曲が終わって無音状態になって初めて拍手が起こる、という現象がほとんど曲でみられました。しっかりと曲を聴いているという印象を受けましたが、この数年でファンの方々に変化はありましたか。

 特に変わったところはないと思います。デビュー当時はパンクテイストな曲も多かったので、モッシュやダイブということが多かったんですけど、その頃から静かな曲もやっていて、自分なりに自負しているところはファンの皆が、どんなフェスであろうが、ワンマンであろうが、イベントであろうが、ちゃんと激しい曲の時は盛り上がってくれて、静かな曲の時はシーンと聴いてくれるのが自分にとって自慢ができる要素というか、いつも「良いファンがついてくれている」とは思っています。

――最後の曲「Your Song」ではモッシュも起きていました。あの光景を観てどう思いましたか?

 やっぱり嬉しいですよ、凄く。昔からの景色でもあるし、最近ではそういうところはあまり披露してこなかったけど、しっかりと反応してくれるのは嬉しい。僕らは色んな形で表現をしているので、こちら側が求めているように反応して頂けるというのは非常に幸せなことだと思います。

――曲に関してですが、先に歌詞を読んでから曲を聴くのとそうでないのとでは曲に対する印象は変わると思います。例えば「新世界」(2012年発売)。新しい世界への希望を書いた曲で、歌詞はシンプルです。きっとバラードだろうと思ったらロックテイストに仕上がっている。そうしたギャップは狙ったものですか?

 いや、そういうことはないです。僕は、曲を作ってから詞を書くんですね。ですので「メロディーから生み出された言葉」という感覚で作っています。メロディー自体は色んなところで浮かびます。ギターを持っているときもあるし、普通にボイスメモなどでメロディーを作るときもあるし。

震災で得たもの、そして言葉の真意

ACIDMAN大木伸夫

――「愛を両手に」の歌詞にある<神様がいなければ良かった>。歌詞の通りに人生で困難に直面したときにそう思うこともあろうかと思います。ライブのMCでも語っておられた「思想」というワードもそうですが「神様」という言葉を嫌う人もなかにはいるのではないかと。

 僕はなんの宗教にも入ってはいないんですけど、でも音楽は今の時代でいうと形を変えた宗教だとも思っていて。多分、日本がこんなにも豊かな国でなければもっと宗教は根付いているとも思うんです。裏を返せば、日本が無宗教なのは豊かだからだと。ただ、日本は、物質的に満たされている国ではあるけれど、心は、ほとんどの人が満たされていないように感じて。そこに拠り所を求めるのが音楽や芸術、エンターテインメントだと思っています。昔は抵抗があったけれど、今は逆に胸を張って、そういう想いで歌を作っています。

――結成されて20年。大木さんは日本社会の変化をどう見ていますか?

 そんなに激動ではなかったと思います。凄く豊かなまま。その前にはバブル景気もありましたが、僕らはそれを知らない世代で。日本という国が借金を抱えているのもあるかもしれないけど、自分たちが生活しているなかではあまり変わっていないと。だけど「3・11」(東日本大震災)以降は、人々が本当に「死」というものを凄く意識するにようになったと思います。

 震災の時、僕らはツアー中で。当時の世論は「こんな時にライブをやるのは不謹慎だ」という空気があって延期や中止をしていましたが、僕らは予定していたライブをほとんどやったんです。それは、こういう「死」をテーマにした歌を歌っているからこそ「今、歌わなくてどうするんだ」という想いがあったからです。そうしたなかで歌ったら、むしろ来てくれる人皆が「救われた」と言ってくれて。自分自身もそれによって救われたというか。あの時の価値観の変化は、その経験による影響が凄く大きくて。

――あの出来事は確かに「死」というものをより身近にさせたと思います。死への恐怖や突然の別れという悲しみを…。

 「死」は圧倒的にマイナスなことではあるけれど、希望としては死の先の世界を信じたいとも思っていて。一つ前のアルバム『有と無』(2014年発売)ではそうしたことをテーマにした曲たちが多かったんですけど、そういう神秘的なものがあるのか、ないのか誰も証明ができないものに関しては、確率は二分の一だから「ある方」を信じたいと思っています。その方が今悲しんでいる方々に、その世界はないのかもしれないけど、少しでも希望を与えられるような気がして。愛している人や大切な人…。「死んだら絶対に待っているよ」という思い一つが癒しになり、救いになるのではないか、それはとても大事な価値観だと思います。

――ワンマンの時に「終わりがあるから儚いもの。だからこそ日々が貴重になる」という趣旨の事を話されていました。もし「死の先の世界」があるとしたらその意味合いも変わってくるかと。

 変わってくると思います。それはあくまでも自分の希望ですから。「死の先の世界」の存在は誰にも分からないわけで。でも、やっぱり今生きている上で「死」は一番怖いものであり、寂しいものであるということは変わらないです。先ほども話しましたが、その存在があるという希望を持つことで、ほんのちょっとでも楽になれるなら、という気持ちです。それでもやっぱり圧倒的に「いつ人生が終わるか分からない」という死を意識して生きている人の方が日々は豊かだとは感じています。

ファンと一緒に知り、それを言葉に

ACIDMAN

――これまでに幾人もが「終わりの美学」ということを話されていました。大木さんの思う「美」とは。

 僕の美の解釈は、一般的な「美」への美しさというのもあるけれど、必死に生きている人というのは美しいなと思っているんです。凛としているというか。それがどんなに社会的地位が低い人だろうが、どんなお金持ちであろうが、とにかく妬んだりとか腐ったり、斜めからの発想を抜きに、真っすぐ生きているということが一番美しいと思います。

――10代や20代の頃、学生から社会に飛び込んで、そのなかで必死に頑張っているけど、良くも悪くも社会にもまれて絶望感を味わう、という人もいます。

 僕ももちろんありました。10年くらい前かな、あるときふと「外が悪いんじゃなくて自分が悪いんだ」と思うようになって。価値観の変換というか。「周りの誰かが悪い」と思ったら永遠に変わらないし。結局、世界が幸せか、美しいか、美しくないかは自分が決めることだと思ってからは、ほとんどそういうふうには思わなくなりましたね。

――価値観の変換ができたきっかけは?

 僕自身、そういう話をするのが好きだったりするので。仲良くしている須藤元気もスピリチュアルな人間ですし。彼は僕らの音楽が好きだったみたいで、そこで知り合い、交流するようになったんですけど、よくそういう話を2人でして意識を高め合っていましたね。彼との話がきっかけになったのなと思います。「世界を変えるということは、人を変えるという訳ではなく、周りを変えるんじゃなく、自分を変えることなんだ」ということに気づいたのはその時です。

――そうした考えはファンの方は理解できているのでしょうか。

 ライブではよく言っていますし、理解してもらえていると思います。ただ、そこに「気づき」というものがない限り、頭で分かっていても感覚として理解しないと難しくて。それでも、たぶんACIDMANの音楽を聴いてくれている人はその感覚とイメージは知っていると思う。だから、そういうことを知らない人よりも気づくのが早いと思います。例え今知らなくても。

――気付きを与えるために言葉の選び方にも、直接的な表現や間接的な表現を使い分けている?

 それもありますが、自分が何かを与えられる立場というほどでもないとも思っています。ちょっと人より命のことを考えている人だから少しはお伝えすることはあるけれど、基本的には「皆で新しい価値観を探しにいこうぜ」という感覚なんですよ。僕も知りたいから。書いている歌詞を書きながら。とにかく知りたいタイプで。何かを変えていきたいというか。それが結局、詞になっていると思います。

その土地で異なる考え方、そして音楽

――「星」をテーマにした曲もあります。「生と死」との関わり合いは?

 僕は神秘的な発想が好きで、人間というのは死んだら意識だけになって遥か彼方遠くに行くんだと思っています。我々は138億年前では一つだった訳で。光、エネルギーの塊で。それが星になっているだけなんで。星も自分も一緒であり、このペットボトルもテーブルも僕らであるという感覚で生きています。星を見上げると命をより感じやすくなるのは事実です。

――思想や宗教の話は日本では胸を張っては言いづらいと思いますが。

 そんなことはないですよ。宗教と思われても良いし。ただその宗教と今実際に起きている宗教戦争、ほとんどの戦争は宗教だったりするので。そういうところとの折り合いというのは難しいことだからあんまりそういう意味は、宗教という言葉を軽々しくは言いづらいということはあります。ただそれが、自分の中での、恥ずかしいとか、大げさだとか、そういうことではあまりないですね。

――ある本で、日本と欧米では宗教観が違うのでそうした発想は科学にも影響を与えているということが書かれていました。

 僕も同じような本を読んだことがあって。僕らの生まれた日本というかアジア圏の宗教観と、砂漠の方の宗教観は全然違うと。アジア圏、特に日本ではその土地、自然に神がいて。八百万神ですよね。所々に色んな命があって、木々が芽生えて、動物がいてというところで生まれた宗教。でも中東や欧米などでは砂漠もあって、そこで生きていくのは大変なこと。目の前のものを目指すしかないというなかでは神や信仰も違うし、考え方も変わってくるということが書かれていて、そういう点で納得しました。更にそこで、音楽とも結びつけていて、なかでもアメリカの会話は三拍子が多い。僕らは四拍子。なぜ言葉が四拍子なのか、それは切迫感がなかったかららしいんです。

――それで英語は早く感じるのですかね?

 早く感じたりもするし、切羽詰まっているというか、命のことに関わっていますからね。目の前でそうやってやらなきゃ生きられない。

人が抱える孤独

ACIDMAN

――自分の考えにある核には何でしょうか。

 それは孤独だと思っていて。寂しい幼少期を過ごしたわけではないんですけど、でも常に自分の心の中に孤独感が漂っていて。そこにそれをすべて満たしていきたいけど、渇望していくんです。多分、そこの孤独が嫌いじゃなくて、孤独と上手くダンスはしているんだけど、そこに人を救うヒントがあるのかなと思っていますね。きっと孤独を感じてない人なんてほとんどいないので、世の中でほとんどの人が寂しさ、悲しさという感情を色んな状況で思い出して、色んな行動で感じているので。そこに少しでも、それを楽にさせてあげる方法が音楽であるのであれば、それは一つ自分が目指している所ではあるなとは思います。

――調子がいいときは孤独と隣り合わせになることは少ない気もします。

 僕の場合、それは逆で調子が良い時こそ孤独ですね。孤独は誰もが孤独なものなので。ただ逆説的に言うとそれは孤独ではないというか。全てが一緒なんです。楽しいときの「会」ってその始まりが寂しいじゃないですか。終わりの始まりだから。その寂しさがあるなとも思っていて。だから生まれた瞬間が究極の孤独じゃないですか。死ぬってことがわかっている瞬間だから。だから赤ちゃんは泣くんだと思うし。

――今の時代、自問自答や孤独と向き合わない人も多い気がしますが。

 そんなことはないと思うんですよね。結局、SNSの発展の仕方は孤独の埋め合わせだとも思っているし、きっと彼らはそこで満たされないものを満たそうとしているんだと思う。自問自答している人達が、また新しいメディアを作って複数の人と繋がり合っている。インターネットだって人と人が繋がりたいからこそだと思うので。だからみんな向き合いつつ、そこに手頃なものがあるから繋がる。若い子は若い子なりに凄く繊細に色んなことを考えていると思います。

――大木さんから見た若い子の考え方は10年前、20年前とでは変わってない?

 まだそこまで語れるほどの年齢じゃないなと思うし「最近の若いもんは」という発想に僕は一度もなったことないですね。むしろうらやましいとは、いつの時代も思いますね。

――社会的背景からいうと核家族などの問題もありますよね。

 その核家族感については寂しいなと思います。僕自身は、自分の隣や近所さんと仲良くしている訳でもないし、両親と同居している訳でもない。でもこれがどんどん続いていくと、結局、東京もスラム化してくという話もあるし。でも昔は、三世帯が一つ屋根の下に住むというのが常識だった。その時代の方が良いと思う。もっと前は一つの村が一つのコミュニティだったわけだし。そっちの方がリアルなだと思うんだけど、このデジタル社会が進んでいくと逆に、目と目を見て、肌と肌が触れ合わなくても同じような効果が生まれるようなツールがきっと生まれてくる。それも一つの進化形なのかなとも思いますね。

――文明と科学の進歩は難しいところがあって最近では人工知能(AI)やロボットも。便利だけど倫理観との兼ね合いが難しいとも言われています。

 AIやVR(仮想現実)などが、なれの果てに脳へ埋め込まれたときには、僕らはきっと体はいらなくなるんだろうなと思います。それこそロボットすらいらなくなると思うんですよ。介護もいらなくなるし。食べることもいらなくなる。指1本だけあればいいという世界がいよいよくると思うと…。もっと先の話かもしれないですけれど、まあそれは一つの流れなんだろうなとはいつも思っています。それがいけないとも思えないというか。

――ロボットでも出来る仕事の中にライターもあるそうです。

 個人的にライターさんはロボットでは無理だろうなとは思っていますけどね。

――それはなぜですか。

 ある現象を形にするのはいいけれどアートというのは現象じゃないので。あと、お笑いの人でもそうだし、映画でもそう。それを掘り下げる人間じゃないと絶対にできないことだと思うから。そういうところでライターさんはまずAIには出来ないだろうと。全くできないと思いますね。だとしたらミュージシャンもAIで出来ますよ。ただそこに人を感動させることが出来るかどうか? という話になってくると思うので。

 デジタル社会というものには、あらがわないようにするのであれば、その核となるものはなくなる。例えば人間ってなんでしょう? ということになってくるので。ただ、あらがうのであれば、自分たちは人間であるというところだと思います。そこしか勝てないと思う。人間というものが人間以上のものが他に作れてしまったら、もうそこに対抗できるものは何もないんじゃないですかね。人間を超えた瞬間。

――心は脳のなかにあってAIの心は果たしてどこにあるのか、心=知能であればAIが発達すれば、心も持てるとも思います。

 そうだと思います。僕はホーキング(編注=理論物理学者、スティーヴン・ホーキング氏)が懸念していることは凄く信じています。心は持つと思います。それが進化というふうに数千年後に、どこかの誰かが歴史書に書いたら、ただの我々の人生は一行で終わるんですよね。「その昔、人間というものがあった」と。「そして進化してロボットになった」というふうに。

――その中で今できる生身の曲を将来どう伝えていきたいかということにも。

 結局、伝えていきたいというのは「今目の前にいる人に」という思いが強くて。もちろん僕らの曲がずっと残って欲しいけれど、ビートルズもモーツァルトもバッハもベートーヴェンもここから何千年経ったらほとんど誰も知らない音楽になっていくと思うんですね。だからそういうずっと永遠に残るということに対しての欲もないんです。それは仕方がないことと思っています。あんまりそういう欲求で、音楽はやってなくて。今感動したいというか。曲を作ることによって、自分で自分の曲で、自分で自分の言葉で、更にライブで感動したい方が強いですね。

共通する「孤独」

――ワンマンでも「地球の歴史を考えれば人生は短い」と話しておられましたね。

 そのまんまですね。138億年が宇宙で、46億年が地球。我々が長く生きても100年。相対的にみたら凄く圧倒的な差だけど、その138億年よりもっと上の価値観があったら、きっと宇宙も地球も人間も同じ時代に生まれたものであるというふうに言われてしまう。そういう相対的なものだと思っています。だから小さいと思うのもその人次第だし。俺は小さいと思わなくて、人間のこの一つ一つに意味があると思っています。この圧倒的な世界なのに、圧倒的な世界を形作っているものは物凄く小さいものの集まりでできているから、自分を小さい存在だとは思わないよと。常に宇宙とリンクしているというふうにしています。

――その考えの裏返しに「孤独」がありますね。

 結局、全部孤独なんですよ。孤独に生まれて孤独で散り散りになってきっとビックバンの前はみんな満たされていたんだと思います。そこから旅立って、孤独になっていると思うんです。だから空を見上げるんだと。故郷を見て。その寂しさがずっとあるんだと思います。

――「愛を両手に」には必ずしも死だけでなく、孤独とも繋がっている、孤独は皆が抱える感情、いわば誰もが共感する曲になっているとも言えますね。

 そうですね。そういうことを意識して作りました。自分だけの体験を書くことに最初は悩みましたが、僕らを、曲を、色んな想いで見てくれて、聴いてくれて、それぞれ自問自答を繰り返しながら捉えてくれると思う。自分に対して歌っていると思ってもらってもいいですし、いろいろな人の死という別れに置き換えてもいい。今生ではなくただの別れでもいいし。そういうふうに捉えていただけるように作りました。やっぱり発表する以上は沢山の人に聴いてもらいたいです。

(取材=木村陽仁)

作品情報

ニューシングル「愛を両手に」
2017年2月8日/1,800円+消費税
初回限定盤(CD+DVD)TYCT-39049/1,800円+税
初回限定盤バンドルDVD
ACIDMAN初ワンマンライブ(下北沢ガレージ、2002年5月25日)と活動最初期のライブシーンをダイジェストで編集した映像を蔵出し。付属DVDとしてリリース。
▽収録曲
M1.愛を両手に
M2. snow light
M3. 水の夜に
M4. Live Track From 2014.10.23 Zepp Tokyo
(『世界が終わる夜』リリース記念プレミアム・ワンマンライヴ)
風、冴ゆる/波、白く/スロウレイン

ライブ情報

対バンツアー「ACIDMAN 20th Anniversary 2man tour」
02月04日(土) 香川:高松オリーブホール w / the band apart
02月12日(日) 鹿児島:鹿児島CAPARVOHALL w / Crossfaith
02月18日(土) 広島:広島クラブクアトロ w / toe
02月26日(日) 福岡:drum logos w / SiM
03月03日(金) 石川:金沢EIGHTHALL w / The BONEZ
03月05日(日) 岡山:岡山CRAZYMAMA KINGDOM w / LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS
03月11日(土) 福島:いわき市文化センター w / THE BACK HORN
05月14日(日) 北海道:Zepp Sapporo
05月19日(金) 愛知:Zepp Nagoya
05月21日(日) 大阪:Zepp Osaka Bayside
05月27日(土) 東京:Zepp Tokyo
06月03日(土) 沖縄:桜坂セントラル

ACIDMAN主催『SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』
2017年11月23日(木・祝)
故郷・埼玉県、さいたまスーパーアリーナにACIDMAN主催『SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”』開催決定

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