人生プラマイゼロ、BUGY CRAXONE 結
成20年は“静かなミラクル”
札幌出身で2017年に結成20周年を迎える4人組ロックバンドのBUGY CRAXONE(ブージークラクション)が1月18日に、20周年ベストアルバム『ミラクル』をリリースする。1999年に「ピストルと天使」でメジャーデビュー。2003年には自主レーベルのZubRockA RECORDSを立ち上げ、2007年には怒髪天・増子直純のNorthern Blossom Recordsでの活動を開始。2017年1月に再びメジャーデビューする。結成から再デビューまでの歴史を振り返りながら20周年へ向けての決意をボーカル&ギターのすずきゆきこに聞いた。
何をやっていても苦労したとは思ってないんです
――2017年に結成20周年を迎えます。改めて結成の経緯を教えてください。
もともと私がやっていたバンドがあり、メンバーがだんだん抜けていったのですが、知人の紹介などでじょじょに組まれていったバンドです。同級生やサークルで組んだという形のバンドではなく、年齢も性別もバラバラのメンバーで始まりました。札幌で結成して半年くらいで東京に出る事が決まり、最初からプロになりたいというモチベーションで始まりました。
――東京に出るタイミングはどのように決めたのですか?
札幌にいる時にBSMバトルというコンテストがあって、そこに出演した時にたまたまレーベルのディレクターが観てくれていてデビューが決まりました。
――結成から2年でメジャーデビューは早いですね。
驚きましたね。ずっとデビューをしたいと思ってやっていたので、順調に話が進んでいって良かったと思っていました。
――当時は10代ですが若さ故に「ちょっと浮かれてしまう事」などもありましたか?
メンバー全員が同い歳だったらちょっと違うと思うのですが、年上のメンバーもいたのでそうでもなかったですね。浮ついていた所もあったかと思いますけど、目の前に起きている出来事を当時は若いなりに一生懸命に考えて良い選択をしてきたのかなと思います。
――インディーズと比べてメジャーでは「それなりの制限がある」という点を気にした事は?
当時のインディーズシーンも今ほどは盛んではなかったんです。バンドを長く続けてプロになっていくのは当たり前の事というか、ライフワークにするのだったらまた別なのですが、始めた時に憧れた“ロックスター”という風に考えた時にはプロになるという事は当たり前に考えていた事なんです。「メジャーに行くと自分達の好きな事が出来なくなる」というような偏見はあまりありませんでした。
――実際にメジャーデビューされてどう感じましたか?
人にも恵まれていて、特に嫌な思いもせずに守られていました。普通に考えてそんなに契約してくれないだろうという実績だったんですけど、それでも長く面倒を見てくれたし、やりたい事にはちゃんと耳を傾けてくれたんです。「でも今は違うんじゃない?」などアドバイスもちゃんとしてもらいながら建設的な環境で出来ていたなと思います。
――そのレーベルから離れて自身で立ち上げたレーベル、ZubRockA RECORDSで活動していこうとした決心とは?
バンドの流れとしては、すごく元気なテンションになってきた時だったんです。以前のレーベルに関しては「よくここまで面倒を見てくれたな」という気持ちしかなかったので、そこでバンドを辞めるという気持ちはありませんでした。逆に札幌でインディーズ経験をしっかりしてこなかった分、「今からやればいいんじゃない?」と考えていたんです。順番は何か変なんですけど、基本的に後回しにするという事はないし、やらなければいけないという事は変わらないと思うので、またインディーズを楽しみにドキドキした気持ちで始められました。
――インディーズは自由であるぶん、何かと自分達でやらなければいけない事が多くて大変ですよね?
ある程度相談できる先輩も近くにいたので、そういう意味では「全く何も無い所を開拓していく」というよりは、「皆の力を借りながら極めて安全に」という感じです。だいたい何をやっていても苦労したとは思ってないんです。常に「簡単ではないよ」と思うんです。簡単じゃない事を苦労と思わないという感じです。そもそも自分が選んでやっている事ですので。やりがいのある事をやっているなと、いつもそう思って生きているんです。
――とてもポジティブなんですね。その後に怒髪天の増子直純さんのレーベルに入った流れは?
自分達でやって4年くらい経って、そろそろ自分達だけだと変に意固地になっちゃったりとか、頭が固くなってきているなと思ったんです。その時、怒髪天がツアーで北海道へ行くので一緒に連れて行ってくれたんです。そこで彼らのツアーの様子を見たり増子さんとしっかり話をさせてもらって、「人の意見を聞くならこういう人達の意見を聞きたい」と思ったんです。
――怒髪天のレーベルに入った事で変化した部分はありましたか?
年齢が増子さんと一回り離れている事もあって、私が当時歌っている事と、増子さんが歌っている事って、パッと見は私が歌っている事は口答えでしかないんですよ。そういった年齢差もあったので、100%シンクロしていくというかは、「ある一部分が重なる」という尊敬の仕方だったんです。いざ自分が活動の場所を変えてみて、頭が固くなっていたり意固地になっていたりする事を思い知るんです。“井の中の蛙”というか、力が及ばない事がたくさんあるという事にどんどん直面したんです。それに気付かせてもらったのが今の環境だったし、変なプライドがあるから簡単に腐っちゃうんですけど。
――辞めてしまうのは簡単というのはありますね。
ふてくされずにいれたのも、怒髪天の近くに居たから…。大の大人が4人集まって楽しく前向きに困難を乗り越えて行くスタンスの人達を見ていたら、自分はその程度ではふてくされられないといいう事をいつも感じていました。
バンドをひとつの生き物として捉えていなかった
――キャリアの中で2003年にはベースの旭司さん、2014年にはドラムのヤマダヨウイチさんが加入しています。メンバーチェンジをされていますが、その際に解散という選択肢も考えたりしましたか?
それが無いんですよ。メンバーが居なくなる事は残念なんですけど、脱退時に皆は「このバンドの先はある」と思って、そこに自分ははまらないと思って辞めていくとか…。嫌な言い方をすれば、その時は辞めるという事になったメンバーも含めて、このバンドをひとつの生き物として捉えていなかったのかもしれません。BUGY CRAXONEというバンドのやりたい事がまだやりきれてないという事の方が大きかったです。だから解散という事は考えていなかったです。
――バンド名はどのようにして決めたのでしょう?
ほとんど記憶にないんです。その当時のギターの人と2人で決めてたのかな…。
――現在のギタリストの笈川司さんではなく?
はい。その前の方です。「バンド名を決めなきゃね」と話していて、何でかは分からないんですけど「BUGY CRAXONE」と私が言ったのだと思うんです。「CRAXON良いじゃない」となって。じゃあ“BUGY”じゃないと。言葉の響きだけで決めました。「ブルーでイージー」とか「人生プラマイゼロ」など、自分のテーマと結びつけた感じです。
――それはこの20年間変わらずのテーマ?
あまり変わらないです。今はプラスに出来るんじゃないとは思うんですけど、基本は「プラマイゼロ」だと思ってずっと生きてきているんです。
――それは深いですね。人生良い事もあれば悪い事もありますし。
そうそう。そこに丁度“音”がはまったと言いますか。そこから発する音で「CRAXONE」と。何で思いついたのかは…。こんな小難しい覚えづらいのを(笑)。
――<スペルはひっちゃかめっちゃかって>と「ブルーでイージー」の曲中でも言っていますが、“CRAXONE”の正しいスペルは違いますよね?
違いますね。それも辞書を引いてKlaxonって「なんかダサっ!」と思ったから、絵面的なものをとって。
圧倒的に贔屓(ひいき)にします
――現在は再メジャーデビューという流れですが、ここに至った経緯は?
去年から20周年に向けて、バンドがやりたい事は「渋谷クアトロでワンマンライブをしたい」という事を事務所に伝えていたんです。今の私達からするとクアトロへの集客は大変なので、「身の丈に合った事で充分楽しめるんじゃない?」という話もしていたんですけど、「トライする事は大事なんじゃない?」という結論をバンドで出したんです。そうしたらメジャーでCDを出すという事を事務所が決めてきてくれたんです。メンバーは「そうなの?」って(笑)。
――メジャーへの流れはトントン拍子で進んだのでしょうか?
「いいの?」という感じですよね。20年やっていて2回目のメジャーデビューが出来るのは珍しいし。その経験が必要だと思って下さったとありがたく受け止めました。
――再びメジャーという事にプレッシャーは感じましたか?
メジャーで一度シーンに出てちゃんと実績を残せていないから、「メジャーだったらこうだよ」という風には思えないです。「どこで何をやろうが結局自分でしょ?」と思うから、生かすも殺すも結局自分な訳ですよね。そういう事は痛い程分かっているんです。ただ、変な力が入ってのびのび出来ないという経験をしているんです。それは周りから圧がかかるのではなく、自分で自分を勝手に苦しめていたというものなんです。幸いな事に、まず事務所のスタッフが変わらず近くに居てくれて、今のレーベルの人達も知ってる方達だから、のびのびやれたらいいなと思っています。
――メジャーだからといって作る音が変わるという訳でもないと。
そうですね。でも、せっかくだからいい意味で変えていきたいなと思うんです。自分達だけでは出来ない所の力を借りる訳ですから。そこは面白い、関わって良かったなと思える音楽を作れたらいいと思います。
――ファンの方々の反応は?
みんな「再メジャーだ!」という感じだと思います。「まじか⁉」みたいな(笑)。喜んでくれていると思うので、それに応えていきたいなと思います。
――ちなみにファンの方々を「ナイスちゃん」と呼んでいますが、その由来は?
はい。「ナイスちゃん」と呼んでいます。せっかく呼び名を作るなら縁起の良い名前がいいなと思いまして。口にするだけで運が良くなるような。これはみんなで考えました。みんなで喋っている時に出てきたんです。
――そういう呼び名があるのはファンの方々からしたら嬉しい事だと思います。
みんな困惑してないかな(笑)。一致団結するのは自分にとっても良い事と思うんです。それまでは照れくさくてあまりお客さんを直視しないところもあったし、私はモジモジしている時間が本当に長いから、そういう「呼び名」が持てた事で自分も安心出来るんです。イベントなどでは自分達が目当てでない方もいる訳で、申し訳ないですけど圧倒的に贔屓(ひいき)にしますよね(笑)。
――それはそうなりますよね(笑)。
そこに変な平等さは持たずにいようと。そこでまた仲間が増えたらいいなと思いましたね。
――是非「ナイスちゃん」の一員になって頂ければと(笑)。そこから曲の着想が生まれたりと。
この何年かで、一つ一つ自分が持っている持ち物を大事に見直すようになりました。無いものを持ってきたりとか、無い力を付けるより、今持っているものをどうやって伸ばすかという事の方が良いと思うんです。バンドってやっぱり自分がやっている事だから、人がやっている事を見てどうこうというかは、まずは自分をしっかり見て…。活かし切れていない事って意外にあると思うんです。
バンド名に関しては特にそうですね。ずっと「面倒くさい名前つけちゃったな!」という事ばっかり思ってきていたんです。でもたまたまthe pillowsの山中さわおさんに「今更だけど何でこのバンド名なの?」って聞かれて説明をした時に、「ブルーとイージーを足して2で割って」という事もデビュー当時はちゃんと説明していたんです。でもその後の何年間は照れくさ過ぎて言ってなかったんです。聞かれても煙に巻いてましたね。
でも(山中)さわおさんに聞かれたから曲げられなくて、素直に「実はこういう理由で付けた名前なんです」って説明した時に「意外といいんじゃない?」と思ったんです。時間が経って恥ずかしさもだいぶ消えて、「これは色々と活かせるよな」と思ったんです。その当時、さわおさんとの会話をもとに「いいかげんなBlue」という曲を作ったんです。
――そのお話が由来の曲なんですね。
曲の中身はさておき、「いいかげんなBlue」という言葉が思いついたのは、その時の会話があったから思いついたんです。「いいかげんなBlue」があって、今度は「Lesson 1」があるんですけど、その中に「ブルーでイージー、 そんでかるい」と言っている歌詞をモチーフに、「ブルーでイージー、 そんでつよいよ」を曲タイトルにして、何かそういう遊び心というか、このバンド名だからこそやれる事がこんなにあったんだというか。
――バンド名からここまで持って来れるというのは凄いですね。だいたい1個目で終わりそうな感じですけど。
執念深い(笑)。
「いつか歌おう」と思っていた
――「ブルーでイージー、そんでつよいよ」は今の流れから自然と形になった?
「20周年が始まる良いスタートになる曲を書こうね」という話をみんなにしていたんです。色々と話をしてけっこう時間をとっていたんですけど、最終的に何がしたいのかなと思ったら、自分達とか、作ってる側の人、ナイスちゃん達、みんなでもう1回悪巧みが出来るような、ワクワクするような、もうひと暴れ出来るような曲を書きたいなと思ったんです。そこからこの曲を作っていった感じです。たまたまスタジオでポロっと歌ったりとか。
――セッション的に作った感じ?
曲作りの練習でスタジオに入っていて、休憩中にちょっと歌ってメロディを作ったのを「いいかもね」って皆でセッションしてアレンジして作っていきました。何となくの曲ネタは用意していったんですけど。
――冒頭の「なめんなよ」って今はなかなか使わないですよね? この言葉はスタジオでセッションしている時に出てきた言葉でしょうか?
これはけっこう昔から「いつか歌おう」と思ってたんです。でも、言う時を待っているというか。
――温めていたのですか?
今言っても負け惜しみにしか届かないなと思ったから言わずにいた、という感じです。もうちょっと元気ハツラツで言える時が来るまで待ってよう、みたいな。
――そういう風に言葉をとっておく事は多い?
ありますね。「今歌っても思う通りの響きをしないな」という事でとっておいたりします。
――空気感を相当読んでいるのですね。
かもしれないですね。アレンジと同じで“混ざり”だから、混ざり具合をすごく気を付けてますね。何をするにも。
――普段の生活でもそういった事を感じ取っている?
読んだ上で無視している所と、全く読めていない所とありますね。意外と読んだ上で無視しているタイプだと思ったんですけど、この間「すごいマイペースだ」と言われたんです。私はそんな事ないと思っていて心外だったんですけど、人から見るとマイペースで頑固なんですって。だから随分と自分は鈍感なんだなと思います。
――メンバーからもそういった事を言われる?
「今更気がついたの?」って。頑固じゃんって言われます(笑)。
――ミュージシャンは頑固で良いと思います(笑)。新曲の「ぶるぶるぶるー」は、こんなに入れるのかというくらいブルーが入っていますが。
これは高橋源一郎さんの小説の中に出て来るキャラクターの名前なんです。このキャラクターに感動して、いつか使いたいなと思っていたんです。
――これも温めていたんですね。
たまたま曲を書いていて仮タイトルを付ける時にパッと出ててきて重なったんです。全然物語の中身とは違うんですけど、パッと閃いたという事は何かしら重なる所があったんだと思います。
――新曲の制作にあたり苦労はありましたか?
それはありましたけどね。20周年という所で曲の書き方が今までと違ったから、そこは力を注いぎました。それ以外はのびのびと書いていました。笈川くんもすごくたくさん曲を書いてきていたし。
――曲順を決めるのも大変でしたか?
新しい曲を最初に入れて、後はババッと入れてという感じで、あまりアルバムの流れとして組んだ曲順ではないんです。キャリア順、発表順に入れた感じなんですけど、その割にはきれいにまとまったと思います。
昔の自分達自身に「やるな!」と思った
――今作では再録音された楽曲も収録されていますが選曲はどのように?
最近のライブで主にやっている曲だけど、改めて今のメンバーで録り直したいという点がありました。
――2008年の作品が多いですね。
そうですね。今もバリバリにライブの中で活躍している曲なんですけど、ライブを観ていざCDを買ってくれた人は、随分前の音源になるし、今とメンバーも違うので、そこをもう1回パッケージし直したかったんです。基本的にアレンジはほとんど変わっていないんですけど、曲の訴え方が変わるというか、年齢も技術もあるんですけど、今のお客さんへの届け方が曲として変わっているから、それもパッケージしておきたいという感じですね。
――改めて録り直してみて思う事はありますか?
アレンジを変えずにここまでやって遜色ないという事は、曲を作った時点でその曲の正解が一度出せている所も、昔の自分達自身に「やるな!」と思いました(笑)。
――アルバムタイトルの『ミラクル』は最後に皆さんで話し合って決めた?
最初は「ブルーでイージー、そんでつよいよ」をそのままタイトルにしようとしたんですけど、それだと、今BUGY CRAXONEの事を知っている人は分かるかもしれないけど、半歩引いた人でさえ「何の事か分からないよ」という意見が出て、確かにそうかもなと思ったんです。だったらおめでたいタイトルが良いなと。「ナイスちゃん」じゃないですけど、人が口に出して言う事だから、言うだけで縁起が良い方がいいなと思ったんです。そういった中で、「よくもこのバンド続いたな」というのは“静かにミラクル”だなと(笑)
――静かにミラクル、これはなかなか無いフレーズですね。
それが自分達に合っていて良いかなと思ってタイトルに付けました。
――それでは20周年に向けてワンマンライブ、そして今作『ミラクル』について読者へメッセージをお願いします。
あまり意識してこなかったんですけど、よくよく考えたら人生をかけてバンドをやってきたなと思ったんです。バンド活動にあえて節目を打たずにここまで来たのですが、今回はさすがに20周年なので、楽しかった事も悔しかった事も振り返りながら、しっかり噛み締めてこの1年を過ごして行こうと思っているんです。
既に出会っている人達はもちろんそうだし、より多くの人達にライブを観てもらいたいと思います。自分の生活の中で、出来るだけ元気で楽しく。年齢的にはけっこう将来が不安になってくる世代だと思うんです。その中で音楽の力で元気に暮らして行こうというバンドなので、見ている人にもそれが伝わったらいいなと思います。20周年記念ライブは一日しか無いので、一緒に楽しんでもらえたら良いというのが一番です!
――20周年記念ライブのその後の展望は考えていますか?
このライブをやるにあたって新しいアルバムを作るから、そのツアーをしたいなと思います。自分達を見るとロックバンドかどうかもよく分からないというか、「BUGY CRAXONE」というひとつの面白い生き物がいるという感じがするんです。だから自分達に合ったライブの仕方ですかね。例えばライブは夜じゃなくてもいいとか。やっている人達が元気で楽んでいないと、いくら楽しい曲を書いていてもパワーダウンするし、明る過ぎても人って疲れちゃうし。嫌な事とか「つまんねえ」とか「分からない」とか、そういう事も素直にのびのびとハツラツと言って生きる大人でいたいなと思うから、それをバンドの活動にもしっかりフィードバックして、「合わせていく」というよりも「創っていく事」をこれからどんどんやれたらいいなと思います。
――やはり「人間力」が重要なのでしょうか。
そうですね。その中で、見てる人に一緒に参加してもらえたらいいなと思います。色んな世代の色んな性別の人が居れる場所だったらいいなと思うんです。別にロックが分からない人でもいいし、聴いたら「このサウンドはロックバンドがベーシックになっているんだね」と思って聴いてくれる人が居るのも、もちろん嬉しいし。私が最初の頃に憧れていた“イケてるカッコいいビシッとしたロックバンド”というところから自分は離れているので、ナチュラルに、「色んな人が出入りできる場所」でいたいです。色んな事を好きに考えていけたらいいと、そういう風に思います。
(取材・村上順一)
◆BUGY CRAXONE(ブージー・クラクション) 1997年5月に札幌にて結成。99年3月にビクターエンターテインメントよりメジャーデビュー。03年4月にレーベルとマネージメントを兼ねた『ZubRockA RECORDS』を設立。以降、多彩なアイテムのリリース&ツアーをコンスタントに重ね、07年に増子直純(怒髪天)主宰のレーベル『Northern Blossom Records』での活動を開始。17年、インペリアルレコードに移籍。同年1月に結成20周年記念ベストアルバム『ミラクル』リリース。
http://bugycraxone.com/
作品情報
20th BEST ALBUM『ミラクル』 2017年1月18日発売 初回限定盤(CD+DVD)TECI-1532 / 3500円(税込) 通常盤(CD)TECI-1533 / 2500円(税込) ▽CD収録曲 01. ブルーでイージー、そんでつよいよ(新曲) |
ライブ情報
<20周年記念ワンマン "100パーセント ナイス!"> 日程:2017年11月19日(日) 時間:OPEN 16時30分 / START 17時 場所:渋谷CLUB QUATTRO 立見 前売2900円(Drink別)/ 当日3400円(Drink別) ※保護者1名につき3才以下1名まで無料、4才以上及び2名以上チケット必要 <BUGY CRAXONE “ミラクルなツアー”> 3月09日(木)仙台FLYING SON 3月30日(木)札幌COLONY [ワンマン] 4月14日(金)名古屋HUCK FINN [ワンマン] 4月15日(土)大阪Fandango [ワンマン] 4月22日(土)新宿red cloth [ワンマン] |
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