演歌は歌い手の個性、三丘翔太 若手
ホープが語る演歌の魅力とは

高校卒業後4年半の下積みを経てデビューにこぎ着けた演歌界の若手ホープ、三丘翔太

 今年1月に「星影の里」でデビューした演歌歌手の三丘翔太(みつおか・しょうた)が1stカバーアルバム『翔太のお品書き』をリリースした。よく「演歌は日本の心」という言説を聞くが、日本人でも演歌の良さを知らずにいる人は多いのではないか。その理由に「若手スター不在」というのが一つにあろう。23歳の彼はただ若いだけでなく、高校卒業後4年半の下積みを経てデビューにこぎ着けた努力家で、演歌界全体からも期待のホープとして注目されている。そんな彼の“歌心”をギュッと凝縮させたのが本作だ。高校の時に出場した『NHKのど自慢』がきっかけで演歌歌手を志したという彼が演歌に寄せる思いとは。そして、デビューまでの道のりと今後の展望とは。

きっかけは『NHKのど自慢』

三丘翔太

三丘翔太

――デビューされてもうすぐ1年になります。

 今年1月20日に「星影の里」で演歌デビューさせていただきました。11月30日生まれなので、今日が22歳最後の取材になります(取材日は11月24日)。地元は神奈川県横浜市で、生まれは静岡県藤枝市です。10歳から横浜で祖父母と住んでいます。

 デビューしてからは、目まぐるしいといいますか。長年夢に見た世界なので「いよいよ」という気持ちで実際にやってみるという実践の1年だったと思います。なかなか自分の見ているものと実際にやるということの難しさを感じましたし、勉強させてもらいました。

――歌を始められたのはいつ頃からですか。

 初めて歌ったのが小学校1年生、6歳の時です。大泉逸郎さんの「孫」を歌いました。祖母がカラオケの先生をやっているので、そこで本格的に習い始めたのが10歳、小学校4年生の時です。その時まではあまり歌に関わる様な生活はしていませんでした。祖父母と一緒に暮らすようになってからですね。

 祖父母は2人とも歌が好きなので、僕が歌っている最中に紙に「ここがいけない」「顎が上がっている」「マイクが下がっている」など色々と書いて間奏中に渡されるんです(笑)。歌の2番ではそれが改善するようにやっていました。

「曲中で何とかしなさい」という感じです。できなかったらもう1回。それは楽しくもあり、辛くもありという感じでした。僕は泣き虫だったので随分泣きました。でも身内の人から言われるのと、他人から言われるのとでまた違いますからね。

――そんな三丘さんがプロを志そうと思ったのはいつでしたか?

 きっかけになったのは『NHKのど自慢』です。高校1年生の時に横浜で収録がありました。祖母が僕の知らないうちに勝手に応募して。5月ですかね。予選を通って、本選までいって“あれよあれよ”とチャンピオンに。それが歌の道に進もうと思ったきっかけです。まず人前でそんなに歌を歌ったことがなかったですし、それまでは歌をお仕事にしようとは思っていませんでした。

 演歌では『カラオケ大会』というのがあります。作曲家の先生などが審査員を務められて、そこで歌唱力を競うというものですが、それにもあまり出た事がなかった。『NHKのど自慢』が5千人の前で華々しいステージに立った初めての機会で、快感を得たのでしょうね(笑)。

大会とかは一切出ちゃ駄目だ

三丘翔太

三丘翔太

――それまでは夢はありましたか。

 公務員など安定した職種を求めていました。小さい頃は車屋さんになりたいとも。中古車に関する本をずっと読んでいる様な子どもだったので。

 先程のお話しした通り「のど自慢」があって、その2カ月後の夏には、師匠の水森英夫先生のカラオケ大会が横浜でありました。カラオケ大会は出たことはありませんでしたが、お誘いを受けたので出てみたら、そこでスカウトして頂きました。

 それで先生に「もうこれから先、他の大会は一切出ちゃ駄目だ。高校3年間は学校に行きなさい」と言われて。「進路が決まり始める3年生の秋頃にまたこちらから連絡するから」という事で。そうしたら約束通り3年の秋に電話がかかって来ました。

――その時の事を詳しく教えてください。

 東日本大震災の年でした。僕は吹奏楽部でコントラバスとチューバを演奏していました。その定期演奏会が夏にありまして、そのリハーサルの時に電話がかかってきて。でも合奏中だったので、1回、水森先生の電話を無視して(笑)。

 それで終わってからすぐ電話をしました。そうしたら「9月18日に家に来なさい。今から住所を言うから」と。本当に呼んでくれるとは思わなかったので、嬉しかったです。それでもまだ半信半疑で「どうなるんだろう? これから先」と思いました。

 その時も吹奏楽をやりながら、趣味の範囲でカラオケに行ったり、歌も歌っていたんですけどね。それで祖父母を連れて先生の家を訪ねました。担任の先生からは「大学への推薦入試もできるけどどうだ?」と言われましたが「9月18日まで待ってください」と。

 担任の先生には「大学に行きながらレッスンに通うというのも有りだけど、お前は男だから。これから歌でお金を稼いでいくんだったら、これからは歌だけを磨け」と言って頂きまして。そこからアルバイトしながらのレッスン生活が始まりました。

4年半の下積み時代

――その下積み時代は何年続いたのですか。

 4年半です。正直長かったです(笑)。水森門下の先輩方は大体が2年位でデビューされていて「それくらいでデビューしない奴は…どうなの?」という感じで、プレッシャーをかけられながらレッスン生活を送っていました。

 それでも先生は「若いし、この時間をチャンスと捉えて今のうちに歌を一杯覚えるんだ」と僕を諭してくれました。ちょうど17歳の秋からなので、皆が大学に通っている丸々4年間を水森先生の“演歌大学”に通った感じです。

 授業は祖父母とのレッスンとは全然違いました。でも、今まで培ってきた僕の歌というものをすごく大切にしながら、僕は声が小さいので「大きい声が出せないとデビューは出来ないぞ」と言われ続けました。だから「プロの発声」を中心に教えて頂きました。歌唱法についてはあまり触れずに、僕が思うように歌わせてくれました。

 まだデビューが決まらない頃に、お客さんとどの様に接するのか、という勉強も兼ねて明治座でおこなわれた萩本欽一さんの最終公演の1カ月間、欽ちゃんグッズの売り子をやらせて頂いたこともありました。その時は、毎日毎日入れ替わるお客様も楽しいなと思いました。試食やおせんべいを配ったり、食べさせてあげたりとか(笑)。けっこうグッズは売れて、売り上げは1位でした。

――そうした下積みを経てデビューが決まった時の心境はどのようなものでしたか。

 「やっと」という感じでした。「お待たせしました」という気持ちですね。僕は小さい頃から歌を歌ってきましたので、まわりからは「皆の孫」みたいにずっと応援頂いていました。「いつデビューするの?」と地元ではよく言われて。その4年半の間に応援してくれている人が亡くなったことなど、色々ありました。「会えない人にも恩返しが出来る様に頑張りたい」という想いを胸にスタートラインに立ちました。

色んなジャンルを織り交ぜて発信できる歌い手に

三丘翔太

――ところで「演歌」という音楽は若い世代にはあまり縁が無いと思いますが、その辺りはどうですか。

 そうですよね。僕みたいな境遇じゃないと触れられないジャンルになってしまっているのかなと思います。そこはもう少し広げていきたいというか、同世代の人に認めてもらえるようになりたいなと思います。

 僕もこれから先ずっと演歌を歌い続けていきたいので、聴いてくださる方を増やしたいです。だから、まずは演歌で認められないと話にならない。でも、僕は吹奏楽もやっていましたし、趣味の“1人カラオケ”にも行っても演歌は歌わずにJポップを歌うんです。

 友達でEXILEさんのファンがいて、その影響でEXILEさんを歌うんです。3代目 J Soul Brothersさんとかも(笑)。あとはナオト・インティライミさんも好きです。だから最終的には演歌とJポップが同じシングルに入っている様なものや、アルバムの中に色んなジャンルを織り交ぜて発信できる歌い手になりたいです。

――三丘さんが思う「演歌の良さ」とは何でしょうか。

 やっぱり「日本の風景を短い言葉で、全てを語らずに伝えてくれるところ」ではないでしょうか。「短い言葉、短い音でどれだけ表現できるか」という、この日本独特の音楽が演歌だと思います。それは先ほどのJポップとは違う所でもあります。音階(メロディなどの音使い)も違いますし、言葉数も少ないです。俳句に近い5・7調なので。制約が多いというか、フォーマット重視なんです。自由度が無い分、その中で表現するという面白さがある。

 だから、演歌は曲の個性というのがあんまり無いんです。歌い手の個性なんです。「どれだけ歌い手が個性を高められるか」という戦いは面白いなと。それでも僕に関しては、ジャンルに分け隔てなく「西野カナさんを聴いて、次に小林幸子さんを聴く」というのが普通なんです。

 小さい頃は、お父さん世代に「うわ、演歌なんか歌って」と言われた事もありました。でも、僕の友達なんかは「あの曲良いよね。歌えないの?」と言ってくれたりして。ジャンルではなく、ひとつの音楽として敷居が下がっている様なところもある。そういうところに攻め込んでいきたいなと。

 今は配信とかもあるじゃないですか。もちろん演歌も配信されています。僕も配信でJポップと一緒に買ったりしますし。そういう感覚で是非、同じ流行歌として聴いてもらいたいです。それは難しいことでしょうけど、なんとか頑張って大きな歌手になっていきたいです。

――そういう想いは時に伝統と反する時がありますよね。

 上から目線かもしれませんが、そういうのも受け入れていかないといけないと思います。演歌界も変わりゆく事に対応しなければいけないと。ネットで活躍されている大御所さんもいますし、そういう面白味を追及されるというのもすごい事だと思います。だから、演歌界も変わるものと変わらないものが必要なのかなと思います。

「こんな曲が実は日本にありました」と伝えたい

三丘翔太

三丘翔太

――昨今は「演歌男子ブーム」と聞いています。ご自身はどう思われますか。

 どうでしょうか。自分ではあんまりそういう風には思わないですね。僕も演歌男子ですけど、美男子ではないので。皆さん高身長だし、ルックスも良いですから。そういう方々も「演歌男子」という1つのジャンルを作っている訳で、僕は伝統的かもしれませんけど、地味に(笑)。華々しくない分「歌しかないよ」というところを出していければ良いかなと思っています。

――初となるコンサートも先日おこなわれました。

 手作りのライブをやらせて頂きました。「星影の里」キャンペーンで全国にお邪魔した時にリクエストコーナーを『お品書き』という名目でやりました。今回はそれを全編でやってみようという事で『お品書きライブ』を。居酒屋のメニューみたいに曲名を並べて、その中から自分が聴きたい曲をボードでそれぞれ挙げて頂いて。僕がステージ上から野鳥の会みたいに見ながらカウントして。だから直前まで自分がどの歌を歌うかはわからないんですけどね。

 コンサートそのものは、僕もこういうライブを演歌でもJポップでも観たことがないので「どうやってやったらいいんだろう?」と最初に思ったところでもありました。色々と実験みたいな感じで今回はやってみましたが、とても楽しんで頂けた様です。

 直観的にお客さんに選んでもらえる、僕はそのスリルを楽しむ、みたいな面白さがありました。僕もこの為に全30曲の歌詞を覚えましたし。確立的にはその中の3分の1しか選ばれないわけですが、選ばれなかった曲も全部覚えて、歌えるようにするというのは、すごくこれから先の演歌歌手としての糧になっていくのかなと思います。

 演歌のライブは参加型というのはとはまた違います。立ち上がって皆で「わー」とやるというよりも、大人しく座って聴くスタイル。そういうのも良いんですけど、この『お品書き』スタイルはMCが得意ではない僕にとっては距離を縮めやすい。ありがたいといいますか、自分に向いていました。今回はスタンプカードも配ったので、定期的には続けていきます。毎回新しい『お品書き』を作って、それとともに成長していきたいです。

――9月にはその名の通り、カバーアルバム『翔太のお品書き』もリリースされました。オリジナルアルバムへの意気込みはどうでしょうか。

 そこは三丘翔太という歌手がもっと大きくなってからですね。僕もアルバムで大きくなるというのはあんまり考えられないですし。演歌の世界ではなかなかアルバムで大ヒットということも少ないことなので。

 『翔太のお品書き』という、このカバーアルバムに入っている曲は全て僕が生まれる前の曲です。昭和21年の曲から歌わせてもらっていて。だから、そういう曲をご年配の方に、まずは僕の声を通して懐かしんで頂きたい。

 そして、若い人の手に届くのであれば「こんな曲が実は日本にありました」と伝えたい。そういう人にはこの12曲は全て聴いた事のない曲だと思いますし、知らない人にとっては普通にオリジナルアルバムに思われるくらい、演歌の神髄を突いています。

 なので、可能であれば、そういったコンセプトのカバーを今後も「翔太のお品書き2」とか「○○編」とかでリリースさせて頂いて、昭和の名曲を知らない方に知ってもらえる様な、シリーズになったらいいのかなと思います。

――演歌界にはシンガーソングライターという立ち位置の方はいらっしゃるんでしょうか。

 吉幾三さんと大沢桃子さんです。五木ひろしさんも作曲はされます。演歌は「餅屋は餅屋」みたいなところがありまして。シンプルな言葉を並べているので書かけそうなんですが「いざ」となるとやっぱり書けないので。すごいんです。

 作詞の先生も、作曲の先生も、アレンジの先生もいらっしゃって、このチームで1つの曲を作り上げるという。それぞれの想いが1つの曲になるというのも演歌らしいところなのかな。

 わざわざ<作詞・作曲・編曲>とクレジットされているところも。逆に僕らに歌詞を書いてくれる様な、若い人というのも出てきてもらいたいところでもあります。

 だからそこは僕らが魅力を伝えていって「自分もこんなもの書きたいな」「こんな曲書きたいな」と思う若い人たちを引っ張りたい。

――2020年には東京五輪がありますが対海外という視点はありますか。

 10月にLAに演歌を歌いに行ったんです。日系の皆さんに対して歌いに行くということで。外国人の方は日本に興味がとてもあると思うんです。キャンペーンでもたまに海外の方がCDを買ってくれたりします。そこにもう少しアピールできたらいいなと思っています。

 確かに日本っぽいところを、これを機に伝えられたら良いと思いますが、まだまだ僕はそこまでいきませんから(笑)。まずは日本で認められたいです。日本は小さい島国だけど大きいですね。それは今年一番感じた事でもあります。

――それでは来年の展望は?

 来年は酉年で年男なので、鳥の様に羽ばたきたい(笑)。今、2ndシングルを制作中なんです。第二弾というのも重要だと思っています。もちろん、デビュー曲も僕にとって大切なたったひとつの曲なので、大事に歌いつつ、この2曲と『翔太のお品書き』、これでもっともっとこの1年で出会えなかった人たちに出会えたら良いなと思います。

――では最後に読者にメッセージをお願いします。

 今回ははじめましてということで「演歌歌手がなぜここに?」という感じだと思うんですけど(笑)。本当に演歌は日本的な世界を伝えているジャンルなので、敷居はそんなに高くないです。軽く拳を回してカラオケで気持ちよく歌ってもらえるような音楽を目指して頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

(取材/撮影・小池直也)

作品情報

『翔太のお品書き』

ファーストカバーアルバム
2016年9月21日 リリース

<収録楽曲>

1.お月さん今晩は 
2.あの娘が泣いてる波止場 
3.かえり船 
4.夕焼けとんび 
5.小樽のひとよ
6.別れの波止場 
7.なみだの操 
8.昔の名前で出ています 
9.柿の木坂の家
10.夢追い酒 
11.千曲川 
12.北の漁場

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